武の身体操作

武道であるとか、日本の伝統的身体文化、修験道、古神道、仏教の思想に共鳴している。

武道では、「まあまあ」とか、「これ位でいいかな」とか、「今日は7割のできでした」とか、「今日は調子が良くありませんでした」いう世界はない。そんなもの全く通用しない。身体の操作も出来るか、出来ないのかしかない。出来なければ死ぬ。どれくらい出来ないというものはない。出来れば、身を守ることができ危険を回避することができる。ただそれだけだ。武道稽古を積んでくると、街の風景の見え方が違ってくる。残念ながら、街が陰気くさい。輝いて見える女性にもなかなかお目にかかれない。大阪や神戸のような繁華街にいても、空気が重だるい。大阪梅田や本町などのビジネス街を歩いているときは、それが顕著である。人が集まれば集まるほど、エネルギーがマイナス方向に向いている。

武道に比べると、アスリートの世界は甘い。「今は調整中だから」「大会に間に合えばいい」というのがあまりにも当たり前になっていて、うんざりしている。オリンピックも近く、選手がよくテレビインタビューを受けているが、今日もスピードスケートのある選手が「鼻と喉をやられて・・・調子が~」なんて言っていた。ピークで競技に挑むことが大事にされている。でもそれも出来ない選手がほとんどだ。

いつ戦いがあるかわからない武の世界では、常にピークであることが要求される。負けは終わりを意味する。もちろん、生体にはリズムがあり、高潮期や低潮期というものがある。そういった波を克服するために、厳しい修行法を確立して自己をコントロールする方法を編み出している。一般的に無意識にコントロールされる臓器機能でさえ、自分の意思で随意コントロールできるようにしていく。ある意味刀を抜く前に勝負がついている。

一方スポーツで負けても、命を落とすことはない“競技”ゆえの甘さなのだろう。アスリート、特に学生アスリートのからむ事件が増えている。どこか抜け道が用意されているスポーツに、学生の中には抜け道を見つけて自分を甘やかすアスリートという構図が見えてしまう。西洋トレーニングという考え方の身体教育では、時期を決めて、そこにピークを持っていくという方法でやらないと、身体が壊れてしまう。トレーニング自体にピリオダイゼーションという波を作ってゆく。すると、抜け道ができてしまう。だから、そういうもとでの身体作りでは、やってみないと結果がわからない、サイコロを振るまで勝負(半か長か)が分からない。

Somatic Coachingでも武道で教えてもらった身体操作を身体運動の検証法として採用している。西洋のトレーニング的なものには興味はない。SCで採用しているのは、基礎中の基礎であって、表面的には非常にシンプルに見える運動パターンばかりでる。でも、難しい。そう、基礎が簡単だなんて誰が決めたのだろうか?みんな基礎は易しいものだと思い込んでいるみたいだが、本当は基礎が一番難しい。それが出来れば多少複雑な高等身体操作はちょっと練習すればできるようになってしまう。そういうものが本当に基礎と呼ばれるものなのです。宇城憲治先生という武道の達人が野球を指導しているが、彼自身野球という競技に関しては素人である。でも、カラダの基礎を築いているために、野球に体の基本を応用し、野球の指導者としても一目置かれ、プロやメジャーリーガーやトレーナーのプロも教えを彼に請う。

真の身体操作には「まあまあ」というものはない。身体の仕組みが決まっているのだから、「これ位で良い」という妥協点はない。最初に基礎として正しい「できる」身体を作らないと、高等技術も健康体も育たない。正しい基礎なしでは、ごまかす身体が出来上がるだけである。

アスリートは自分を知る、自分の身体を深く知るという作業をしているのだろうか?
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by somaticcoach | 2006-02-08 20:40

看病日誌

先週の土曜日~日曜日の夜、徹夜で看病することになった(結果的に)。

おいしい食事をご馳走になり、家に帰って一風呂浴び、私が「さあ休もうかな」と床に就いたものの、苦しそうな口呼吸と呼吸のリズムの乱れを無視するわけにはいかなかった。

その夜はとくに呼吸が乱れていた。呼吸が一瞬停止するわ、激しい口呼吸をするわ、気道の詰りのために鼻息が騒がしいわで・・・。このまま放っておくとやばいと感じて、せっせと身体調整を始めた。自分の意思でほとんど動けない者を相手に、調整していくのは骨が折れる思いだった。自分である程度動いてくれると身体の調整を手伝うことは、負担にならない。かえって、こちらも一緒に元気になれる。

それでも、ある壺にヒットさせていく度に、大きな身体の無意識運動の反応が現れ、身体をもがく様にうねらせたり、くねらせたりし出した。これを見て、まだまだ身体自身はもとに戻りたがって、頑張って生きようとしているのが、手に取るように実感できた。とても感動した。身体の気・エネルギーが滞っているところを見つけては、無意識運動の身体反応を誘発しながら、身体を調整させてもらった。

長時間にわたる格闘の末、やっと呼吸のリズムが安定し出した時は、新聞屋さんも朝刊を配り終え、辺りがやんわりと明るくなり始めていた。最初は、ガチガチに固まっていた頚椎・胸椎も、大分弾力が戻り、一安心を覚えた。そのまま隣に添うように、つかの間の休息をさせて頂いた。あれだけ息が乱れては、身体が乱れてしまう。最近、自らの役割をサボっていたのではないかと反省しながら、意識が遠退いていくのを感じていた。

身体を調整させてもらったのが効いたのか、自然と安定した呼吸が戻ったのかは分からない。また、薬による助けが効いてきたのかも知れない。何が良かったのかは、全く分からないが、ここ二・三日、比較的安定した呼吸のリズムを保っている。それが嬉しい。出来るだけ安らかな最期をプレゼントしたい。

その日、精力のつく食事をご馳走してくれた、森本さんと邦子さんに感謝。お陰で、徹夜看病できました!
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by somaticcoach | 2006-02-08 01:27

言葉との出会い(2)

『100%自分本来の状態を取り戻すことが、自分を無にすることなのです。それは、赤ちゃんの状態に戻ればいいのです。』

この言葉は、現代に生きる武道の達人の青木先生の言葉である。全く同感であるというか、この言葉で言われている通りの道を信じているからこそ、今のSomatic Coachingがあるのだと思う。この言葉に背中を押されて、「お前は間違っていないよ」と青木先生に言って頂いた気分である。

カツさん、またお宅の師匠に会わせて下さい。今度は手がふさがっていない時に・・・。もっと達人の身体を学びたい。
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by somaticcoach | 2006-02-08 00:52

稽古日誌02/07/06

以下全て組み稽古による

1)胸骨-骨盤の連動による立ち⇔坐り(正坐)
2)胴体と肘の繋がりを使った羽交い絞めからの脱出
    引き上げ-引き下げと開閉のコンビネーションで肘を操作
3)胴体の捻りと捻り戻し
    自ら仕掛けを作って捻り戻しに活かす
4)脚の捻り(内旋)と捻り戻し

最近自分で開発したon-elbows & knees姿勢での胴体と腕(肘)・脚(膝)への連動を掴むトレーニングが、特に2)の稽古に役立っていることを実感した。我ながらいいExerciseを考案したもんだ。
捩れ刺激の体感力の向上と捻り戻しの際の全身の繋がりが上達していることを実感した。師匠からは『もっと中を動かすんや!』忠告を受ける。更に体深部で感覚し、運動を操作できるように稽古を積んでいくべきだという方向性が見つかる。
3)はSomatic CoachingのOrganic Movementの検証法として追加したいと思う。4)は既に検証法として使用中。
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by somaticcoach | 2006-02-08 00:25 | 稽古日誌

二月の個人稽古ドリル

全身に流動的に運動の支点を作る。
繋ぎのワーク---膝・肘の使い方:体幹と四肢の連結。
人体での螺旋表現。
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by somaticcoach | 2006-02-06 10:41

歴史と日本への冒涜

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国宝の格子のこぎりで切断 法隆寺で仏像盗難

 5日午前9時15分ごろ、世界遺産に登録されている奈良県斑鳩町の法隆寺(大野玄妙住職)から「国宝の建物『西室(にしむろ)』の格子をのこぎりのようなもので切られ仏像が盗まれた」と西和署に届けがあった。
 一方、南に約15キロ離れた同県明日香村の橘寺で同日午前11時50分ごろ、仏像を盗んだ男が男性職員に取り押さえられ、橿原署が窃盗の現行犯で逮捕した。男は折り畳み式のこぎり(刃渡り10センチ)を所持しており、県警は法隆寺の事件との関連を追及している。
 西室は僧侶が寝泊まりする僧坊として建てられたが11世紀後半に火災に遭い、現在の建物は1231年(鎌倉時代)に再建された。1955年に国宝指定。窓の木製格子29本のうち6本が切断されていた。
(共同通信) - 2月5日22時22分更新
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この事件に関する一般的な反響の少なさに、個人的にはがっかりしている。この国民の千年を超える日本の歴史的象徴に対する意識はそんなものなんだ。
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by somaticcoach | 2006-02-06 01:07

言葉との出会い(1)

『感覚に振り回されない』という言葉に出会った。

今、敏感であること、感覚の鋭さ、感性が研ぎ澄まされていることが非常に評価される。私自身それを目指しているところもあるし、人がそうあるように指導することが多い。しかし、それと同時に感覚に振り回されないことも大事かも知れない。

一刻一刻、無数の感覚情報がカラダに報告されている。それぞれに一々反応しているとカラダがパンクしかねないし、人間としての自分の生活や行動目的にとって必要以上に遠回りになったり、まったく見当違いな方向に向かいかねない。多くの情報を感知しながらも、高度な処理能力を持ち、振り回されないことが、カラダ管理能力には欠かせない。一時の感覚に囚われすぎず、流れ行く感覚情報を受け流していく。サラサラと感覚がただカラダを駆け巡るような感じを演出する。

これ(『感覚に振り回されない』)は、まさに日本の芸術的境地で、一見相反するもの(敏感さ vs. 固執しない)が調和して同居している感覚なのだろう。
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by somaticcoach | 2006-02-06 00:27

死を見取る覚悟

近々身内の死を見取るかも知れない。末期の病に苦しむ者がいる。
毎日健気に命を全うしようとする姿を目にする。ただここに居てくれている。それが堪らなく愛しくて、居てくれるだけで、他に何も要らない。

こっちの目には、痛々しい姿が映る。苦しそうな呼吸の音が途切れることなく響いている。

本人は何も語ることはない。

心の中で、本人と会話をしてみると、本人は時間がもうそこに来ていることを知っているという。
ただ、このまま何も手を施さないのではなく、医者から出された3つのオプションのうち、薬の投与を選びたいと。
でも、それは病気から回復したいためではなく、今の痛みや苦しみから少しでも解放されたいために、薬を求めているのだと。
もう天国に向かう、腹は決まっているのだと。苦しさの中で延命することよりも、天国に旅立って行きたいという。ただ、苦しんで行くのではなく、安らかに行きたいのだと。
私にどうして欲しいのかを尋ねてみても、特別何もない。もう何もいらない、だた傍にいて欲しい、そして、祈って欲しいと。
最近毎日やっている手当て(=愉気)は、好きだから続けて欲しいと。

最近ずっと辛い思いを感じていた。気分がふさぎ、心が痛んでいた。しかし、会話を終えてみるとわかったことがあった。勝手にこっちがその姿を目にして、かわいそうと思い込んでしまっていたのがわかった。そして、なにもできない自分のふがいなさが嫌で、自分勝手に辛い思いをしていたことがわかった。できることなら、もうすぐやってくる死を見取るという経験を避けたいがために・・・。全部自分勝手な妄想で、辛い気持ちを演出していたんだ。

本人は旅立つ腹構えはできている。自分勝手な辛さを武器に、無理に引きとめようとすることは、本人の苦しみが増すだけなんだ。自分勝手に辛い思いをするのはやめよう。

安らかに旅立ってもらおう。ただ付き添って、その手伝いをさせて頂こう。
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by somaticcoach | 2006-02-01 01:39