“何を”ではなく、

結局何をするということは大したことではない。その人がヨガをしていようが、ピラテスをしていようが、太極拳をしていようが、入り口はどうでもいいといえばどうでも良いというのが分かる。

指導していくことは、取り組み方である。そこが変わらなければ何をしようが一緒だと感じている。「自分なり」という取り組み方しか持たないから、結局何をしようが同じところを堂々巡りしているに過ぎない。どんなメソッドを行おうが、どんな器具を使おうが、「自分なり」は一向に姿を変えていかない。

取り組み方の可笑しさ。
考え方の可笑しさ。
言葉遣いの可笑しさ。
習慣の可笑しさ。

そんな日ごろ無視しているところに目を向け、変えていかなければ人は変わっていかない。いくら良いメソッドに出会おうが、取り組み方の貧しさが変わらなければ、宝の持ち腐れである。
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by somaticcoach | 2007-08-03 09:30

兵庫県神戸市の「ザ・ととのゑ屋」さん(威風堂)です。営業のお知らせについて、想っていることについて綴っています。


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