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生きているカラダ(3)

世界的なヨギとお会いする機会がありました。この方のことを、ヨガを運動としてではなく、瞑想や生き方として行っている方ならば、誰もがご存知でしょう。ヒマラヤの地で修行を行っていると、この方を拝みに来る人が後を絶たないそうです。

自分勝手なカラダ作りは通用しないと言ってきました。そこで、人との関わりを通すことで自分を磨くことを提案してきました。なぜなら、その方が分かり易く、摑み易い。その上、直ちに社会生活の中で生きてくるからです。人と稽古したりする第一目標は、自分の反応や関わり方を知ることです。自分がどうやって関わっているのか分かっていないのに、相手のことなんて分かりっこありません。たいていの自分のことは分かっていると言う人は、自我のことを言っているに過ぎません。その程度なのに、相手への思いやりとか、相手に合わすとか、非常に眠たいことを言ってしまっています。カラダを通して関わってみるとすぐ化けの皮が剥がれます。

しかし、このヨギは自分一人で自己探求を行っています。誰を師と仰ぐわけでもなく(あまりにもレベルが違いすぎて、師となれるような方がいらっしゃらないからなのですが…)、一人で。でも、この一人の探求の中身は、全く我々のものとことなることを勘違いしてはなりません。我々がやってしまうのは、自我探求なのです。自己探求ではありません。自分の本質を探求しているのです。自分という存在を深く深く知るという課題に取り組んでいるのです。桁違いのレベルで。自分というものへの理解が中途半端じゃないのです。だから、人と稽古はしなくても、相手のことも分かるのです。この方の前では、私達のことなどお見通しでしょう。だから、必ずしも人と稽古することだけが、やり方であるということではないのです。しかし、下手すると自我探求という過ちに陥ってしまうことが少なくありません。一人でやるには、相当の丹力が必要です。

自分が解っていない人が、いくら人のためと格好つけても、自分の押し売りにしかなりません。自我を自分だと思い込んでいる人は、なおさらこの傾向が強い。被災地でのボランティアや支援にまつわる問題なんかで非常に明らかになっています。自分は人のため、被災者のためになると思っても、迷惑になっていることが多いですね。なんにも人の事をわかっていない証拠です。本当にレベルの高い次元で自分ことを知っていないと相手のことを察することなんでできません。だからコミュニケーションを取り続けていくんでしょうね。そうやって、少しずつでも人と自分が違う生き物なんだけど、共同体であることを肌で感じていくのだろうと思います。
by somaticcoach | 2005-11-28 12:00