全体 vs. 部分

d0067505_1093520.jpg(一般論です) 欧米のスポーツ科学は、筋力、メンタル、動作解析、栄養摂取などそれぞれ部分に分けられて着目し、別々に強化する。科学的に身体動作を分析し、競技やトレーニングに役立てる傾向が盛んです。コンピューターでフォームを分析したり、筋電図を使って数値的に動作解析したり、最新のトレーニング器具を使って筋力強化をしたりするといった取り組みを一般的には科学的と理解していますし、目新しいものは最前線のトレーニング法や画期的なものとして、疑うことなく、吟味することなく、躊躇無く受け入れられてしまっています。

部分を組み合わせて全体になると考えるのは西欧の発想。古の日本文化では常に人間を全体で捉えてきました。身体全体を一つで捉え、心技体を一致できてこそ、人は最高の活力を発揮し、日々を生きることが出来ると考えられていました。最近では、科学とは数字を並べたてたり、統計学的なお墨付きを得ることが科学的裏づけだと勘違いしている風潮があります。それまで、そういう「科学的」思考傾向や分析法を持たなかった日本人には、数字を示されて無条件に納得してしまったようです。第二の無条件降伏!そして、独自の文化を捨てた。

けれど、人間を数字で表そうとする発想や、それで納得できたと思う姿勢こそ、限界があるのではないかと思います。何となく実験したり数字で証明したりすることが科学であると思い込み、自分のカラダの中で起こっている真実に自信が持てなくなったり、把握できなかったりしているのです。近代科学の欠点は分析が主体になっていることです。欧米の文化は、部分を分析し、それを組み合わせて全体を作る考え方です。現代の日本は欧米以上に部分の分析に主眼が向けられているようです。しかし、いくら部分を分析し、部分を組み合わせても『全体』にはなりません。

「メンタルトレーニング」や心理学。心だけ別に取り上げて問題視するほうが分かりやすい感じはします。心とカラダは密接に繋がっています。むしろ、同じ生き物といっても言い過ぎだと思いません。形ある身体がなければ心は発生しません。そして、体の形のありようによって心が変化します。その心の状態がさらに体にフィードバックされて相関関係を築いていき、どっちでどこが体でどっちやどこが心か分化できなくなってゆくのです。

人間は感知した情報を常に有機的に統合し、丸ごと一つの存在として機能します。最近の日本人は、筋力、心理、脳といった各部分を断片的に理解したり改善したりしようとする傾向が強くなりました。各部に絞ったほうが分かりやすいし、それで解決できる場合も無いとは言い切れません。しかし、これでは本質を見落とすことになります。ヒトは一つの細胞から生命が始まり、そこから派生してきました。完全分化したのではありません。二つの細胞へ細胞分裂してもくっついたままなのは、覚えていますか?アメーバのように分裂してからバラバラの生き物にならないのです。常に一つの生き物としての繋がりを維持し、強化しながら成長して今に至るのです。これが本質なのです。初めから一つでしかないのです。だから、ここから逸脱するものの見方では本質的や根本的な事は見えてこないのです。ヒトがいくら大きく成長したとしても、全体で捉える発想や姿勢が根本に無ければ、本質的な改善は出来無いと思います。

最近は医学の分野でも統合医療の大切さが叫ばれています。人間を部分的に捉える西洋式の発想に対して、日本では伝統的に身体を統一体として捉える発想を基本にしてきました。心技体の一致。統一体による内面の気づきとフィードバックのかかる感覚運動システムを自分自身の中に築き上げることが大切です。日本には世界に誇れる文化がありました。調和と融合。もうそこに戻っていくしかないと思います。さもなければ、世界はエゴに満ち溢れた争いの耐えないものになり続けるでしょう。みんなが自分に都合の良い部分しか見ていない世の中に・・・。
by somaticcoach | 2005-11-18 01:26