みんな過剰エネルギー病

現代病(成人病や難病)や現代人の心身の痛み・苦しみは、過剰エネルギーの便秘によるものだと言えます。

ストレス反応を起こして高まったエネルギー状態も上手く解消できずに、エネルギーの残り粕は体内に溜まっていきます。

また、食べ過ぎ(+動かな過ぎ)傾向にある多くの人は栄養過剰であるため、食べ物からのエネルギーも使いこなせていないために、ますますエネルギーを溜め込みます。

溜まったエネルギーは痛みや病原の格好の餌ですから、そんな身体は病気には住み心地抜群な家なのです。癌細胞なんかは、そんな環境を大好きです。

『本気で』病気や痛みから快復したい人は、断食くらいしろと言いたいですが(本気なら断食くらいできるはずですが)、そこはちょっとだけ控え目しておきます…。

砂糖くらいやめなさい。砂糖もやめられないなら、治る資格ありません。どこに行こうとも、何をしようともホントの治癒など無理です。砂糖がなくてもいくらでも豊かな食生活は叶います(とりあえず、砂糖以外は自由にして可だと言ってるのですから)。本当は砂糖抜きの方が食生活が豊かになります。

そして、くたくたになるまで全身を使うことをやってみて下さい。まず週一回で構わないと思います。全身を出し惜しみなく使いきったホントに気持ちのよい全身疲労を味わいましょう。

一週間で溜まってしまっていたエネルギーを使いきりましょう。身体を頻繁にリフレッシュさせ、リセットして、古い身体を刷新させましょう。何でもいいです。ポイントは全身を疲れさせれることです。スポーツのように偏って身体を使うものは偏った疲労しか残しませんので気をつけて下さい。
[PR]
by somaticcoach | 2014-12-28 14:50

脳はストレスに関する感情的な苦痛を抑圧する代わりに、感情の痛みから気を逸らすために、部分的に自律神経を興奮させて体に緊張や痛みを押し付けることがあります。
その筋肉や血管の緊張が慢性的なものになってしまうと血行が悪くなり酸欠状態になって痛みが出るようになります。
血行の悪くなったところが臓器か、関節か、筋肉か、神経かで症状の出方や病気の種類が異なりますが、メカニズムは同じです。
検査(疼痛反応の検査)では、脳神経が誤作動を起こして興奮しっぱなしになっている筋肉で、過敏に痛みの反応が現れているところを確認します。
そして、神経筋反射を調整して脳神経(特に脊髄反射と脳幹反射)の誤作動を解除すると、筋肉や血管の緊張がゆるみ、酸欠状態もただちに緩和され、痛み(感覚異常)も解消され動作も滑らかに(運動異常もよく)なっていきます。
_______________________
***ストレスを受けた時に、脳が過去に体験した痛みの記憶を再生し、感情体験から気持ちを紛らわすために体に痛みを押し付けるという仕組みがあります。
体は脳の隠れ蓑でストレスの受け皿になってしまっています。
脳は感情の痛みは非常にダメージが強いために、それに対して脳自身を守るために、自律神経を通して生体に防衛反応を起こします。
過去の記憶によって再現される防衛反応は脳神経の誤作動なのです。
間違った常識、思い込みや考え方(マインドセット)が条件設定になって、脳神経の誤作動のスイッチが入るかどうか、果ては病気や痛みをこしらえられるかどうかが決まります。
痛みや症状が出るか出ないかやその度合いは、体の歪み、骨格の変形や臓器の病変よりも、どれだけ脳がストレスの影響を受けているかに大きく左右されています。
つまり、体は心の状態に反応しているのであり、これがストレスが8割以上の心身の不調の原因であると言われているからくりなのです。
_____________________________________________
[PR]
by somaticcoach | 2014-12-26 11:08

痛みとは感情なのだ

信じなくてもかまいませんが、痛みは感覚ではありません。
そもそも痛みという感覚は存在しません。

(私ははっきりこう断言し、この立場で痛みをみています。
『痛みは感情である』ことをもっと知りたい、学びたい方は、大歓迎しています。)

痛みはある生の身体感覚を「これは不快だ」と個人が感情的な解釈をして作ったものなのです。
痛みは感情反応なのです(感情なのであり、思考ですらあります)。

よく快や不快の感覚とか言っていますが、快や不快と好み分けされているということは、感覚ではなく感情や思考なのであります。

「痛みは感覚だ」と誤解することで、痛みへの対処を最初から間違う羽目になってしまうのです。

痛みを感覚だと思ってしまうと、自分が痛みと決め付けた感覚が起こっている限り痛みからは逃げられなくなります。

痛みの奴隷(コントロール不可能なもの)になってしまうのです。

時に痛みを正当化し、痛みに愛着や自分のアイデンティティとしてまとって、痛みを手放せなくさえなってしまいます。

あくまで(感情的な)反応であり、思考的な判断であれば、コントロールすることも学んでいけるのです。

痛みという言葉についてちゃんと理解することが、痛みという感情体験を穏やかに経過させ、沈静を快復していくためにとても重要になります。

痛い!と感情体験するきっかけになっている感覚は本来言語化できないものですが、なんとか擬態語で表現できます。

ジクジク、ズキズキ、ジンジン、ズキーン、ドーン、ギュー、キリキリなどなどといったものです。

これらは、あくまでジクジク、ズキズキ、ジンジン、ズキーンでしかなく、それらを痛みだと解釈したときに痛みを飼うことになるのです。

つまり、痛みは100%個人的なマインドセット(心のあり方)によって決まるということができます。

痛みがあるかどうか、痛みで苦しむかどうかは、または、その苦しむ程度は、自分で選ぶことができるのです。

原始感覚(擬態語表現の範囲)に気づきを保ち、(興味や好奇心を持って)よーく観察してみましょう。
痛いと感情的になっていた中に、無常で、移ろい行く感覚状況があって、実は痛いという言葉と生の感覚には距離があって、同一のものでないことがわかるでしょう。

痛みにピッタリくっついて囚われてしまい、苦しみと一体にならなくてもいいのだということにきっと気づくことができるでしょう。

そうなるとあなたはあくまでも感覚を見守る観主(かんむし)さんであって、痛みと同化することも、痛みから離れることも自由に(選択)できる立場にあることがわかることでしょう。

そして、生の感覚だけに集中して味わっていれば、味わい尽くせば、その感覚は消化(昇華)されて自然に乗り越えるという生命の健気な働きに感動することができるでしょう。
[PR]
by somaticcoach | 2014-12-26 11:02