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膿出し

左肘を擦りむいた。数日後、妙に左首が凝って仕方がなかった。なぜなんだろう…?。首が気持ち悪くてしょうがない。最近は以前は些細であったろう軆の違和感も気持ち悪くてしょうがない。しかしながら、この首の凝りは嫌で嫌でしょうがない。こんなに凝ってしまうことをした覚えがさっぱりない。「くそ~。この軆への気づきは、まだこの程度のものなのか」。

風呂に入る時に肘をみるとパンパンに腫れていた。気付かないうちに化膿していた。左首の凝りはリンパが詰まっているせいだと判った。肘を切開して膿出しをしようかと迷ったが、軆の掃除能力に賭けた。「このままでええ」。肘(患部)と化膿活点に手当をし、上腕内側、腋下、胸線、耳下リンパを気の通る方へ自働操法を1日半何度も繰り返していた。すると傷口は自然に破けて、膿を垂れ流していた。腫れから3日目では、すっかり腫れは引き、膿んでいる様子はなくなっていた。瘡蓋は勝手に剥がれ落ち、傷の修復の再始動。

つくづく軆は信用に値する。要らない物は出す、やり直す。軆はこれをやってくれる。しかし、軆を信用した者の軆にしかこの褒美は授けられない。信用した者にしか可能性という光を見ることができない。軆の可能性知らずして、軆の可能性を信ぜずして、人生で何の可能性は拓いていこうというのだろうか?世の中躓いて悩んでいる人、立ち返る場所を見誤ってはいないだろうか?
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by somaticcoach | 2007-12-30 22:12

矛盾過剰

必須アミノ酸というものがある。人体が製造できないアミノ酸だから、医療・栄養学畑の人達はこのアミノ酸が含まれたものを取りましょうという。これだけ高性能に壊れた細胞を再生したりする軆、「できない」のではなく、「する必要がないからしない」のでなかろうか?私は軆のやることは抜かりないと思っているのだが、どうも近代的な人は軆というものを信用できないようにみえる。

世の中では地球や環境に優しくと言いながら「エコ~」に躍起になって無駄や廃棄について関心を持っているが、こと自分の軆に関してはサプリとか余計なことばかり考え出しては根本的に自力を発揮させることを省みず迷走している。ここまで来れば笑って世の末を待つしかないのか。
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by somaticcoach | 2007-12-26 14:54

Reflex

私たちの生体は反射的に自働的に営まれている。反射力を衰えさせたり、意識的に抑圧していくと生きる、生き抜く力を退化させていく。軆に反射異常による生体反応があるならば、これを解除させていなければならない。痛みの大部分はこの異常な過剰反応であることが多い。この事実への一般的認知度はかなり低い。医療従事者の怠慢の一つである。
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by somaticcoach | 2007-12-26 14:10

身体的衰え

私たちの退化現象は先人達への侮辱にはならないだろうか?
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by somaticcoach | 2007-12-26 14:04

何もしない

「何をすればいいですか?」「どうすればいいですか?」がお決まりの質問であるが、ことごとく『すること』を指示しては失敗していると実感する。私の知らないうちに私のイメージとするところとは酷い方へかけ離れていっている。結局、人は自分の解釈でしか物事を判断していかないから、こちらの意図していること、意味していることは汲み取られないで過ぎてしまう。何もしないでと言った方が良かったと思う。

なぜ質問するのですかと訊くと、「わからないから」と答える。しかし、わからないと言っているにも関わらず、自分の基準で判断して解釈する。それが可笑しいことに気づかない。気づかないから進歩していかない。人のアドバイスを取り入れていることにもならない。にも拘らず、自分の進歩のなさを人のせいにする。

まず、大きな勘違いは、軆は何もしないで天真爛漫で元気なのが当たり前で普通なのに、人は何かしないと健康にならないと“健康法”が流行るが、健康法がなければ健康でいられないのは実は不健康である。軆に元気(生営の気力)がない証拠である。人間だけが~法を持たなければ快く生きることもできない現代になっている。~法を持った瞬間、そこには快さというものはないよう思うのだが。そんな単純な私達の可笑しなあり方さえも気づかずに多くの人は一生を終えていっている。
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by somaticcoach | 2007-12-21 12:31

意識の拡張

軆は生理的要求が充たされるように無為的に働けばよい。軆を意識でコントロールしようとすると弊害が生まれてくる。しかしながら、それだけでは勿体ない。せっかく発達した意識があるのだから何かしたい。大抵は自我意識を軆に押し付けてしまうが、これはいただけない。意識は軆が精錬さに感動をするために用いたい。軆の素晴らしさを味わい感激したい。味わいを鑑賞できる特権を私達人間は与えられた。感動する意識を与えられたのだ。意識は感動しながら拡張して豊かに育みたいものだ。
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by somaticcoach | 2007-12-17 03:19

ストレスは力

ストレスは解消するものではなく、自らの自家発電の力に換えてしまえれば、ストレスの力が巨大であればあるほど、自らの力は巨大となる。それが出来るのが肚(丹田)。以前に丹田は底無しのリサイクル場と書いた。丹田にはストレスを吸収する力がある。ストレスという餌を欲しがっている。飢えている。丹田に餌を与えよう。この肚の使い方を身に付けると逞しく生きていけるのだから。逃げていても、ストレスからは逃げられない。解消出来るストレスはない。ストレスは餌なのだから、ストレスは食うに限るのだ。
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by somaticcoach | 2007-12-12 12:34

原動力

食物や水分は暫く断っても生きて行ける。空気は更に端的な命の原動力であって、数分断つこと難しい。

しかし、重力がなければ、一瞬にして地上にも溜まって居られない。宇宙で漂う不要の人工衛星化してしまう。重力が生まれる仕掛けがあって、空気や命がこの地球とその周辺に宿っている。万有引力があるから勢いや流れが生まれるとわかった。
「重さ」を最重要テーマに挙げた野口体操や武術身体操作の素晴らしさに改めて感動する。

重力との関わり方を変えた時、軆は劇的に変化する。そこから息(呼吸・空気)や動き、心理、生命活動も激変する。これを如何様に使うか、人間の知性が試されているといえるのではないか。
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by somaticcoach | 2007-12-04 16:23

姿勢を観る

姿勢について取り上げているもの、テーマにしているもの少なくない。しかし、ほとんどが姿(外観)を取り上げているものに過ぎないようなのだが、「姿勢」の定義を伺ってみたいものだ。何を持って姿勢と申すのか?
勢いという観点が抜けてはいないか?なぜなら勢いを観ることが出来ないから無視しているのではなかろうか。私が調律を手伝うとき勢いを動かす(ようにしている)。勢いを観察し、勢いと姿のギャップを観察し、勢いを動かし、内外一致(統一)へ導く作業をしている。そこで初めて姿勢となる。
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by somaticcoach | 2007-12-04 16:04

無いものねだり

どうしても無いものねだりする如く頭で思ってしまう。無いものねだりだから余裕がなく、ハツラツと居れなくなってしまう。自ら苦しんでしまう。自ら惨めになる。
人間本来持っている能力を使いこなして命を全うする。つまり、全てはもうここにある。あるものをただ出していく。そんでエエねんけど、実行しない呪縛を抱えて離さないで居る。
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by somaticcoach | 2007-12-04 15:43