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なぜわからないのか?

整体の野口先生は、「先生はどうしてそれが解るのですか?」と訊かれて、「あなたはどうして解らないのですか?私はあなたが解らないのかが解らない。」と返したという。一聞、意地悪だなあと思うが、非常に大切な問掛け方を教えてくれている。天才は名指導者にはならないといわれるが、指導を受ける者の意識のあり方のせいでもある。意識のあり方もそうだが、その人の生きてきた密度が違えば人の深みを理解することは難しい。初めから、天才の言わんとすることは解らないとの先入観はないか。それとも答えばかり求めている自分がそこにいないだろうか。

一つの決まった答えなどない。生きていくに従って答えは変わっていくために、一つの答えらしきものにしがみ付いていると相当に恐竜化してしまう。

ここ数ヶ月一元塾の成田先生の動きを観ていて、全く何をしているのか解らなかった。それでも何が観えていないのか根気良く繰り返して観察していた。「なんでこんなことができるのか?」という行き場のない問いがいつの間に「どうして私には解らないのか」の自問を繰り返していた。そこから大発見があったのだ。嬉。
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by somaticcoach | 2007-11-30 14:00

鏡の軆

今日の整体のセッションで、鏡の軆を用いて相手の軆と交信してみた。
ある程度のレベルでは、鏡の軆になるだけ(一切手技は使わず)で、相手が整っていくことがわかった。とても面白い試みだった。自分が相手となり、整っていく方向性を相手の軆に示してあげることの大事さを学んだ。
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by somaticcoach | 2007-11-29 17:23

締め力

曲技飛行パイロットの室屋義秀さんがテレビの取材で面白いことをおっしゃっていた。
曲技飛行では縦、横、斜め、逆さま状態でクルクル回転するためめまぐるしく強烈な力が掛かる。その力は10G(重力の10倍)にも及ぶという。鍛えられていない人では、一発で失神してしまう。

室谷さんは「Gが掛かる瞬間に体をギューッと締め上げて血を止めるんだ」と言っていた。過去にヨガの成瀬先生が「心臓の動きを止めることが出来る」とおっしゃっていた。極寒の地では一種の冬眠状態に身体をセットするために心臓の動きまでもコントロールしてしまうそうだ。
「血を止める」「心臓を止める」ということはさておき、体を締める動きに何かヒントがあるのではなかろうか。

この締める反射運動能力は軆をダメージから守る力に繋がる。
車の衝突事故で瞬間的に体を締めることで、鞭打ちにならずに済む。
寒いときでも体を締めることで寒さの体感を減らし、寒さに強く居られる。寒くても縮こまらずに畏怖堂々と寒風を受けることがヘッチャラである。

この締め力は筋トレでは鍛え切れない。なぜなら反射力が勝負なのだ。いくら締める筋力が強くても、間に合わなければ宝の持ち腐れである。間を外せば全く役に立たない。無意識トレーニングで養っていく必要がある。
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by somaticcoach | 2007-11-28 10:06

継承

私は何を引き継いで生まれ、生きている間に何を引き継ぎ伝えて、何を託して死んでいくのだろうか?

空海の想いが実現し開かれた高野山、真言密教の僧侶達を中心に今も受け継がれる空海の想い。

天職とは、
継承の命を受け
継承の想いを築き
継承すべく「こと」に出会い
継承し
後世に継承を託す
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by somaticcoach | 2007-11-27 14:55

軆を信じること

指導者は「軆を信用する」ように導かなければならない。
どんな手法でも構わない。一番大事なのは、それぞれの人が自分の軆を信頼し、人の軆を信頼できるようになることだ。

自分の思いだけで軆をコントロールすることではない。メソッドなど優れたものはない。凄いメソッドなどない。どうも「初めにメソッドありき」の流れになっているように感じる。

一番凄いのは軆なんだ。軆があって全てのものが引き立ってくるのだ。メソッドを信用すること、させることがトレーニングの目的ではない。軆ってなんて素晴しいんだと気づき、軆の信頼感に感激できるように導くことがトレーナーというポジションに就いている人達の使命だと私は思う。

それに何よりも、軆は信じるられることで成長していく。人の成長と同じであろう。

よく自己否定というが、それは頭で作り上げた世界の否定であって、軆や人そのものを否定することではない。むしろ軆を信用するためには、頭で押し付けている世界を否定して軆の根源的な働きとバランスをとっていく必要があるということである。軆の働きそのものは信じてやまない。その方向性が重要である。
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by somaticcoach | 2007-11-22 16:26

自己否定こそ面白い

舞台「さらば、わが愛 覇王別姫」(演出・蜷川幸雄)で演出家の蜷川さんが主演の東山紀之さんを「壊してやる」と。それに対し、東山さんは「壊されたい。一から新しい東山紀之を創り上げたい。」と。このような気質の持ち主だからこそ、少年隊でアイドル時代以来、東山さんの魅力は今もなお、さらに磨きがかかっている。

徹底的に自己否定をして、常に自分を創り換えていくからこそ面白い。この両者のような関係を築ける間柄はとても素晴らしいし、どこにも落ちているわけではない。なかなか本当の突っ込みをしてくれる人、その突っ込みに反発して成長していくツヨイ人や真剣に生きている人はいない。突っ込みというと、くだらない漫才風のボケ/ツッコミに終始するのが日常のオチで、私にはそんなこと一切面白味がない。逆に場がしらけ退屈感が目に見えて増してくる(虚構さが募るというか・・・)。

とにかく、大方の人は「壊すー創り換える」という関係から逃げていく。むしろ、今の形や習慣、固定観念を守ることで楽しもうとする。既知の領域だけでお遊戯することを楽しいと言う。どうでも良さそうなことで盛り上がっていると思っている。水槽に飼われる金魚状態を望み、川に放たれることを拒む。

今の自分のしがみついている物を少しでも多く捨てたいと思いセミナーを企画した。来年から行っていく予定にはしているが反応は乏しい。自分を壊したい。周りにも創造的破壊を起こしたい。今持っている関係を創造的否定して前に突き進みたい。格好の自己否定の機会を好機に昇華したい。
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by somaticcoach | 2007-11-16 18:13

エコって?

ふと思ったのですが、今は「エコ」ブーム(?)的になっているのですが、人間が考えているエコって意外と自己満足なんだろうなぁ。自分たちが地球に思いやりを持っているって思いたいんじゃないかな。このまま環境の悪化が進めば、自分達人間が暮らしにくくなるから、エコが大事だってことにしてしまっているような気がする。文明化にしても、エコ化にしても、結局は自分勝手なんだな。あまりにも言葉が先走りしている。そういうのって、今までの色んなことにしても然りなんだけど、やっぱり不自然。

人間が何しようが、地球は地球で掃除していくんじゃないかって思ってしまった。地球はその気になれば人間を排除するのもわけないんだろうなぁ。意外と、「人間さんよ、地球を舐めんなよ」って言っているかもしれない。人間が「エコだ」「地球に優しい」って、やっていることなんて地球にとっては鼻くそほどでもないのかも知れない。人間たちがやってきた間違いに気づくことやそれを正すことは良いが、その行為が「私は偉い」を訴えかけるものになってしまったら一杯疑問符が飛び出してくる。それじゃ、好き勝手に戦争起こして周りを巻き込んでおいて、戦争を収めました。そのことが称えられてノーベル平和賞を受賞しましたっていう過去の茶番劇と変わらない。あくまでも当たり前のことを当たり前のこととして寡黙に行うということができないんだな、今の人達や企業は。誰かに認められたくてしょうがないんだ。大した事じゃないのに。幼児が「お母さん、見て(注目して)!」って訴えかけているのと同列なんだな。

地球の身震い(地震)一つで、何千人、場所によったら何万人を掃除する事だって可能なんだから。アメリカ、カリフォルニアでしているように太陽の力を借りて、火を使って人間を追い込む事だって可能だし。凍らしたり(氷河期にしたり)、水で覆いつくしたり。地球が見限ったとき、人間がどうあがこうが、人間なんて終わりだと思う。そのときまで、慎ましく正しく生きていく。偉そ張って、もっともらしいことをやっているつもりになるんじゃない。

もっと自然の力を恐れるべきだね。文明にしても、エコにしても、いかにも上から物申すって感じで、ちっとも成長していない人間の幼児性を表している。怖いくせに、威張り続けている。でも、怖いのは自然に対しての恐れではなく、自分の命が奪われかねないって事に対する脅威を感じているための潔さのかけらもない悪あがきのビビリに過ぎない。わたしたち人間は、みっともないったらありゃしない。
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by somaticcoach | 2007-11-07 09:20

超人

超人技とは、人(人工)を捨てて、完全に自然化することで成せる技術・芸術。
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by somaticcoach | 2007-11-04 13:39

アレもコレも

アレもコレもをやっている人が多い。それ自体は間違いはない。色んな軆の状況や状態を体験することから軆を学んでいるなら。しかし、たいていはただ作られたメニューをこなすことを義務にしているから何も学んでいない。それなら、一つとじっくり丁寧に付き合い、そこからどれくらい自分の軆について深い見識を獲られるかという自分のセンスを磨いたほうが賢明ではないかと思う。一芸からどれくらいの悟りを掴めるか。アレコレやると、やりようによれば、間違いなく「下手な鉄砲数打てど、みな外す(あるいは、自分に当ててしまう)」、になってしまう。
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by somaticcoach | 2007-11-04 13:28

ネタ提供者

私にとっての師匠はネタ提供者であり、私が今体現できない可能性を見せてくれる人である。人の素晴らしさを見せてくれる人である。間違いなく私の能力より優れている人。

世間の勘違いは自分に施しくてくれる人、言葉で理屈を教えてくれる人を「先生」と呼び頼る(依存する)ことだと感じている(ように映る)。

私が私の師匠を師匠と呼ぶのは、ネタを提供してくれてワクワクさせてくれるからであって、教えてくれるからではない。実際、色々題材を提供してもらってはいるが、アレコレ教えてもらっていない。学ばせてもらっているのだ。私も私の生徒にはネタ提供をするしかできない。学び、体得するのはあくまでも本人の仕事なのだから。
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by somaticcoach | 2007-11-04 12:56