<   2007年 10月 ( 40 )   > この月の画像一覧

逆立

逆立の効用について見直している。野口体操の野口三千三氏は、逆立を遡って立つことと定義している。つまり、胎児の状態、お母さんのお腹の中にいる姿勢に遡っていくこと。この遡って立つことに様々な効用があり、かなり納得できる理屈も生物の重力の恩恵の歴史から説明できるようになった。ますます軆が、生き物が面白い。
[PR]
by somaticcoach | 2007-10-23 11:52

街を歩いていて、気分が悪い、気持ちが悪い。腹が立つ。
周りに居る人の無関心なところ、自分にとって嫌な所ばかりに気が取られていく。自転車で、手持ちの傘で、集団で、気が行き届いていない事に嫌になる。でも、こちらもそんな人達に対していることに気が付いた。「あいつはバカか、アホか」という思いとともにメラメラと対立心を起こしていた。この状態やと相手にとっては、私がバカであり、アホに映っているということに気がついた。

こちらから自分の中にあえて引き込んで受け入れてみる。すると相手の軆が違う反応を取ることがわかった。相手の軆が私の存在に反応している、意識は無視していても軆が無関心でいられなくなっている。つくづく、自らの対立心が相手の無関心を招いていたことに気づかされた。
[PR]
by somaticcoach | 2007-10-22 16:58

いかに波風を立てないか

「空気を乱すな」という事を数ヶ月前に体感から発見した。このところ、それを初めいくつかの自己発見した原理を他のところ(先生達)で学ぶことが多い。というか、以前からその命題は出されていたのだけども気づく力がなかった。それが一皮剥けてきたこのところである。

改めて、自分の発見に間違いがなかったことを実感できることが嬉しい。発見そのものだけではなく、それまでの工夫などの過程、取り組み方も間違えてなかったという再確認が出来たことが自信になっていく。波があり、その波にのる。そこから変化を創る。まず何が波で、どんな波かを感覚→認知できるとこから展開して、そこに「合わせ」の仕掛けを作り変幻自在に順じていく流れが要求されている。
[PR]
by somaticcoach | 2007-10-22 12:13

創作活動への昇華

私は今の身体活動から創作活動に職を変える予定である。いずれ来る日のために軆とはなにかの追究に取り組んでいる。その過程で、いろいろな人にも出会い、そして他の人にも自分の知っている事を伝えていっている現在だ。その創作活動がいかなる形をとるのかはまだわからない。質の高い身体性が要求されるものを選ぶという抽象的なことだけしか決まっていない。本屋に行っては本屋中を歩き回り、街でも歩き回り、世の中にどういうもの(世界)があるのかを詮索している。私のアンテナに引っかかってくるものを待っている。とにかく、今の自分はその創作職人になるための必要躰を創り上げていっているのだということを再確認できた。
[PR]
by somaticcoach | 2007-10-21 09:56

合わせの理

まだまだ素人レベルではあるが、「合わせ」というものがこういうものではないかという実感が持てた。今実験したいのが、下手なマッサージをこちらの合わせの技術で上手く転換してやろうという試みである。上手な人は受け手の軆にピッタリ合った施術をしてくれるから、安心して軆を差し出すことができる。しかし下手な奴にそれをすると軆を壊されてしまう。しかしながら、合わせの技術があれば、下手な刺激もこちらの軆が整うように転換できるはずなのだ。と同時に、やはり下手な奴にお金を払うことには気が引ける私が居る。「合わせ」ばっかりやっていると疲れるだろうから、時間は短いほうが良いだろうとか色々考えている。とりあえず、短い時間の下手糞マッサージでも受けにいってみよう。同様の目論見でタイ古式マッサージも興味がある。
[PR]
by somaticcoach | 2007-10-21 09:56

正々堂々

相手と自分の間に、互いに通じ合う生きた呼吸のような関係・間がある。この間がお陰となりお互いを動かして勝負の姿を浮彫りにしていく。それが正々堂々というものではなかろうか。
[PR]
by somaticcoach | 2007-10-20 14:19

自分との戦

自分との戦いとは、何か。サラッと聞いてしまうと何の事か判らない。ヨクヨク突っ込んでみなければならない。最大の敵は自分である。つまり、それは自意識だと云える。自意識があると力み・凝りが起こり、全身の滑らかな働きが滞る。軆の一体感は削がれ、全世界との有機的繋がりが断たれる。そして、自然のリズムに相応でいることができない、となる。囚われることで自由自在な働きを失い、自己破壊を促してしまうのだ。だから、まず克服すべきは自分=自意識で、それがあって初めて周囲の変化に応じる道を歩み出せるという教えであった。
[PR]
by somaticcoach | 2007-10-20 14:14

工夫

この日記でも「工夫が足りない」とか、工夫を(自らに)促すことが度々ある。工夫とは、基礎を叩き込んでいく過程で軆を使って使い抜いたところから生まれる創造的な閃きやアイディアを重ねていくことであって、頭の中でアレコレ考えをごねたり、思い悩んでいくことではない。
[PR]
by somaticcoach | 2007-10-20 13:56

躾を問う

躾の会を来年(2008年)から開くことにした。REACHさんの協力で場所を確保することも出来た(ようだ)。躾、軆をいかように律していくか、それとともに意識や心をも。使いふるされたトレーニングなどという言葉や内容ではなく、「躾」という語を選んだ。豊かな躰(軆)の美しい佇まい。そんなあり方のエッセンスに真理(本質)があるとの考えからである。
いくつか身の理セミナーを行ってみて、その必要性を実感してきています。
[PR]
by somaticcoach | 2007-10-19 12:29

不快から快へ

ここ数週間のレッスンの機会には不快を快に転化することを行っている。
とことん不快を味わうことから始めて、面白いように爆発的に軆の整いたい自働調整本能を誘導することができ、軆の働き方が半端ではない。ものの1~3分の動きで代謝が爆発的に活発になり、停滞していた軆の総動員がされていくようである。一気に軆が昇華する。

そして、これにはもう一つ狙いがある。軆の自発的な蠢きを感覚し、捉えるということである。軆の動きはこれしかない。勝手に作った動きは何の役にも立たないばかりか、一部の達人を除けば軆を蝕む方向に進むのが落ちなのだ。しかしながら、軆の本能の蠢きは軆を整えるという方向性を持っている。これに素直に従うことでストレスがストレスでなくなり(ストレスに適応でき)、対立が和合となり、痛みや辛さが居心地よさに転換されていく。意識から軆を解放させることに取り組んでいくことが軆本来の躾となる。
[PR]
by somaticcoach | 2007-10-19 10:02