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情報操作

私達には刷り込まれている思い込みが沢山ある。私がブログを書いているのも、私の思い込みを表明していくことで、自分自身を律していく行いではないかと思っている。だからトップの案内以外は他人用には一切書いていない。人のためになろうが、人のためにならなかろうが関係はないし、どれくらいの人がこれを見ているかどうかにも関心は無い。過去に書いたものも書きっ放しではなく、時々読み返している。そして、手直しや修正も入れている。

私達は他人からも巧みな意識操作をされている。それを商売にしているのが、広告・宣伝業だ。人は情報に右往左往してしまう。これを巧みに悪業に使って、詐欺などを働く。また、これを巧みに自分自身に応用するのが、自己啓発と呼ばれるものになる。ようは、意識操作のやり方だし、意識の在り方だという共通項が浮かびあがる。それだけでも大きく人は変わる。
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by somaticcoach | 2007-05-25 13:16

Unprofessional = 無責任だ

私は、Unprofessionalに無責任と言う日本語訳をあてている。辞書を引いてもそんな訳語は紹介されていない。それは生きた感覚を紹介していないからだ。

2週間ほど前であろうか、私が出入りしている所の人がテレビに出演すると伺っていた。仕事と重なり、生で拝見することは出来なかった。その方が出演後戻ってきて、私に言った「砂川さんのあのエクササイズ、テレビで使わしてもらいましたよ」と。

一瞬なんのことを言っているのかわからなかった。暫く時間が経つと何の事を「あの」と指しているのか判ってきた。私自身がテレビに出るとしても、「あの」ものは紹介しない。それは、ライセンス上の問題があるし、筋を通さねばならない。なのに、「あの」ことについて何も知らない人が、テレビで紹介しているということに、全く意味が解せなかった。その点で全く関係ない人だからゆえに、そういうUnprofessional = 無責任な事ができるわけだが、なぜ事前承諾を求めるという形ではなく、事後報告なのであろうか。どういう順序で頭の回転が廻っているのだろうか?今までもそういう風に他の仕事も進めてきたのであろうか?彼は私といつの間にか暗黙の(私には身に覚えが無い)信頼関係を築いてしまったのであろうか?彼は彼自身だけではなく、会社も代表していること、そして、彼の所属しているところ、関係しているところ全部を代表していることを身を持って解っているのだろうか?わかっているはずが無いのは行動をみれば明らかだ。

Unprofessional=無責任だと思わせることはまだまだある。

以上の事があるが、どういう形でテレビで紹介したのであろうと、ビデオクリップを観てみると、これまた愕然とした。「あの」ものは私が思い描いた「あの」ものとは全く変わってしまっていた。もう「砂川さんのあのエクササイズ」と言えるものは、なかった。完全に自己流に作り変えられていた。「あの」ものが本来持っているエッセンスや「あの」ものが意図してあることを完全に無視して作りかえられていた。似通った形だけで(似通っているだけで、全く非であった)あった。つまり、テレビに出演した彼は、「あの」ものについて何も理解していなかったのである。公のテレビの場で、しかも、民法ではない人様が受信料を支払っているところで、自分の無能さを披露したのである(素人さんにはわからないだろうが)。無能さの披露は、本人の勝手ではあるが、パクリましたと言ったものの、パクル能力もない事を証明した。真似ぶ(学ぶ)ことができないのである。なんという侮辱か。ちゃんとパクリもしないで、「砂川さんの~」と言ってのけるのである。あきれて言葉も出なかった。同じ場で仕事をしておきながら、パクルことはUnprofessional=無責任である。その上、正しくパクレ無いというのは、もっと無責任である。

さらにこれに通じる彼の無責任さは、「あの」ものを私からちゃんと教わった経歴が無いことである。私には一度も彼に「あの」ものを指導した覚えが無いし、彼が「あの」ものを学んだ事を確認した事は一切無い。一度たりとも私のレッスンに参加した経緯も無いと記憶している。学ぶ能力も無ければ、習う能力も無い。私が誰かに施すのを横で見て、それを自分勝手に自分の物にしてしまったことにもある。どうりで、そのエクササイズに託された意味を全く理解できなていないわけである。所詮、今までもそういう風に、自分勝手に物事を良しとしてきたのだろう。だから、平気で物事を自己流に作り変えることができ、その作り変えたものが「あの」ものとイコールだと勘違いできるのだろう。自分の解釈だけで、物事の良し悪しを判断してきたのだろう。幼稚だ。

行動は本当に多くの事を語ってくれる。彼の言葉だけに耳を貸していると、良い青年だと誰もが思うであろう。しかし、行動と言う本質は嘘は語らない。彼の行動は稚拙であり、Unprofessional=無責任そのものである。

空手家の宇城憲治氏はワークショップにトレーナーなどの指導者の参加を認めていないという。なぜなら、ここで書いた彼のように、ちゃんとエッセンスを学ぶことはせず、すぐ使えそうな形だけを真似しようとする安易な人達が多いからだ。宇城氏の場合は、古伝空手の教えから抽出したものを指導しているという。つまり、古伝空手を十二分に学んだ者にしか、それはできないという事なのだ。そして、そのエッセンスを十二分に知っているものだからこそ、それを抽出したものを形を変えて、空手に精通していない者にもわかるように指導できるのである。型をしっかり身に付けているから、自由が展開していくのである。宇城氏の危惧するところを、私は身を持って体験できた(体験させられてしまった)。

型を学ぶ者は形を学ぶことで、型に託された哲学や要素を学んでいくのである。表面的な運動だけを覚えるためなのではない。何百年と受け継がれてきたものの中に託されたものや文化を学んでいくのである。型を無視した自己流は、自由ではなく、勝手である。彼は型を崩した育ち方をしてきたのであろう。彼の受けた?躾の象を顕にしているのだ。

正式に私と契約を結ばないトレーナーやインストラクターは私のレッスンなり、ワークショップには参加することは控えてもらうことにする。余りにも勝手な世の中になった。残念ながら、閉鎖的にさせてもらう。余分な仕事が増えた、契約・誓約書を作らねばならない。
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by somaticcoach | 2007-05-24 10:20

たかがこの程度で

困ったことに、たかがこの程度の気温で、冷房全開である。電車も寒くてしょうがない。ビルも店も冷んやりして、非常に居心地が悪い。外以外に居場所がなくなる。今から冷房ガンガンかけて、何を考えてるの。春に開いた躰が、梅雨に、夏に向けて汗をかく準備をしていかなくてはならない時期に、躰を塞いでいっている。準備ができない。汗をかけない躰になってしまう。そして、夏にまた躰がおかしくなる。
冷房のお陰で、旅寸前に風邪をひきました。すっかり躰を冷やされてしまった。

K-Fitのレッスンでは、私の帰国後に冷えをテーマに何かして欲しいとリクエストがあったので、冷えについて一レッスン打つことにする。
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by somaticcoach | 2007-05-24 09:54

躰観

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我ながらこれは傑作だと思う。ある本を読んでいるとインスピレーションが沸いて、ふと描き出した。人はこうなっているのではないかと描いた。

その後二つのスケッチも出来た。これは、後日載せることにしよう。

アメリカでの解剖を受けて、新しい観方が出来るだろう。そして、身体観は育っていくだろう。
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by somaticcoach | 2007-05-23 13:58

躰が教えてくれること

躰を理解していく中で、大事にしているのは、躰自身の関係の仕方。躰の誰と誰が親密な友好関係にあるのか。自分の躰を実験台にして、次々と新発見をしている。躰の中のめまぐるしいネットワークが浮彫りになっていっている。こうやって、少しでも多くの体細胞と友達になれるとなんと愉しいであろうか。

新発見と言っているが、必ずしも、世界的な新発見ではない。ただ誰にも教えてもらわずに、自ら気が付いていっているだけで、同じ事を別の人が発見していても不思議ではない。あくまでも私の躰を通じての在り様である。「新発見」というと勘違いして、言葉尻だけを問題にして噛み付いてくる人がいるからの一言。

さあそこで一つ、躰に尻尾は一つではない。
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by somaticcoach | 2007-05-20 16:35

頭の問題

昨日ワークショップでは、頭の問題をテーマにした。こじんまりだが、活気ある時間だった。頭の問題は、とてもじゃないが、2時間半ではカバーできなかった。余りにも皆さんは頭の問題を抱えている。頭の力みが手放せないでいる。十分の一も扱えたかどうか。次回も頭を切口にしようかと思っている。こう書いている私自身も、パソコンとの睨めっこが続き、何かに被爆したような気持ち悪さを抱えている。来週のアメリカ、コロラドのロッキー山脈のふもとで過ごす時間が待ち遠しく思える。向こうに行っても缶詰状態みたいだけど、所変われば~。本当に頭をスッキリさせなければならないのは、私自身なのだろう。

しかし、面白いもので、ワークショップのテーマをだいたい決めておくと、事前に色々な発見がある。今まで気づかなかったことに、ハッと気がついたり、「そういうことか」と膝を打つことが多い。何かを見つけようと、頑張っているわけでも、追い回しているわけでもない。むしろ、待ちの姿勢で、天から舞い降りてきたものを頂戴する感じでいる。フッとテーマのことは無意識に仕舞い込んでいるのだが、テーマに関連したことに知らず知らずに出会っていく。知らず知らずの間に導かれている。

今回の頭をテーマに関してもそう、そして、前回の骨盤力をにテーマにしたときも、ワークショップ一週間前には自分の中で大発見が起きた。このワークショップの発表ために発見していくようである。

私のコーチング法に断定の法則というものがある(これも自分で発見したから、「私の」と言っているだけ)。断定するとそうなる。断定して忘れると、知らない間に導かれていく。事はそうなる、なぜなら、そうだと言い切ってしまっているのだから。
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by somaticcoach | 2007-05-20 16:24

否定×××××

行動を否定する。今の行動を否定して一から創作し直して行く。そして、また否定する。ましな人間になり続けるために、壊してわ創り、壊してわ創る。
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by somaticcoach | 2007-05-16 12:52

が閉じた瞬間、何かが変わる。観て、見ない境地は眼を見開きながら、瞼・眼を閉じた境地に入って行く。
調律や治療でも、相手に眼を開けたまま受けて貰うのと眼を閉じた状態(眠っていないこと、意識ははっきり覚めていること)では、同じことしても効果が全然違う。
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by somaticcoach | 2007-05-16 12:40

冷やすことへの警告

スポーツの世界でもアイシングが一般的になっている。交代したピッチャーがベンチで肩・肘に何やら巻いて座っている姿がテレビで映し出されたりすることもある。私はアイシング否定者である。それは躰の自発的な働きを抑制させて仮面をかけさせているだけだからだ。出ようとしているものを抑えているのだから、冷やすことで躰に必ず後遺症が残っていくのだ。少しずつ躰にしこりを残していくものの、願わくば一年を誤魔化し乗り切って欲しいというやり方だ。残念だが、そのしこりを残していくやり方であることが認識がされていない。アイシングはあくまでその場しのぎで、長期的な観点で確立された方法ではないことを認識あれ。

アイシングで炎症を抑える。「抑える」ということに対しては、他に代償を払わなくてはならないということ。「出し切ること」も現代ではしなくなった。楽することに走り過ぎている。自分の全てぶつけて力を尽くすということをしなくなった。エネルギーは出し切ると新鮮なものが補充されていく。古いものが残っていると、古いエネルギーがドンドン錆び付いたり、腐ったりしていき、歪んだエネルギーになってある日、突然爆発なんてことも世の中では少なくない。

躰の免疫機能もちゃんと経過させてもらうと、一段と丈夫な躰を作ってくれる。誤魔化すことで、調子が安定しなかったり、寿命を縮めていく。

スポーツ科学・スポーツ医学。一体何を科学しているのか。
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by somaticcoach | 2007-05-13 11:53

美顔観点

生物は口から育つ。人の赤ちゃんも口を通して世界を認識していく。初めに口ありき。そして、個人的な見解になるかも知れないが、美顔は口にありと思っている。口角の切れ上がりが美しさを生む。美だけではなく、印象のインバクを残す。

腰が抜けてくると、老人的な口元になり、口角が垂れ下がってくる。腰が入った若々しい人は、切れのある口元を持っている。顔も腰が作っているようだ。腰椎三番が狂った腰痛を起こすと瞼を閉じるのできなくなるという。腰の表情が真の顔の表情になっている。表側に化粧で仮面を被っているかも知れないが・・・。
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by somaticcoach | 2007-05-12 15:16