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京大病院の演劇

京都大付属病院の心臓血管外科の手術再開をめぐって診療科長の地位を不当に奪われたとして、同科の米田正始(こめだまさし)教授(52)が30日、京大と内山卓病院長に地位の確認や慰謝料など3300万円の支払いを求める訴えを京都地裁に起こした。
 訴状などによると、病院は昨年12月に「安全性が確保できない」として心臓血管外科の手術停止を命じた。病院は再開条件として米田教授に診療科長の退任を求め、29日の病院協議会で科長の解任を決めた。
 米田教授は▽各科の教授から科長を選任するとしている病院規定や「申し合わせ」に違反する▽執刀機会などの診療活動が強く制限される-などと解任の不当性を指摘し、会見で「早く治療や手術ができることを望んでいる」と述べた。
 米田教授はすでに、地位保全を求める仮処分を京都地裁に申し立てている。病院側は答弁書で「診療科長の地位には法的保護はなく、選考は病院管理者に広い裁量権がある」と主張している。
 内山卓病院長は「コメントは差し控えたい」としている。
(京都新聞)
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あの捏造テレビ局では、「医者は患者を無視して…云々、患者を何と考えいるのか…」と最もらしいコメントをしている(が、これは捏造番組とは関係なく、報道番組の中のコメント)。ちょっと違う観点からの私見がある。

私は多くの方々の「からだ」と付き合わせて頂いたが、果たしてあんたらはどうなんだい?自分自身のからだと真摯に向き合ってきたと胸を張って言えるのかい?私は医者の肩を持ってはいない。むしろ、医学なんて糞喰らえぐらいに思っている者だ。偉そうな事を言う奴は、身を隠すためにその言葉を吐いているのか、生きた言葉なのか、一度待ったをかけてから公にしていきたいものだ。「待つ」=「間を持つ」ことが難しくなっている世の中だと思う。闇雲に押し付けるのは、トラブルの元となることを身にしみている。
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by somaticcoach | 2007-03-31 11:54

オプションを削ぐ

普段教えていると、こういう質問がよくある:「これはどういう時に使えますか?」。私には???な質問で、生徒の立場でそんな事を訊いたことはないし、どこで?、いつ?というより「これをどないしたろか。これを使って、何したろ。」ということを自分で考えることが当たり前だと思っているし、目的意識が無い中でやっても仕方が無い。だが、相手は答えを待っている。そして、答えは、いつでも、どこでも。使えない状況を考えることの方が難しい。

つい先日も、海外から来るトレーナーの学生に講座をしてくれないかということを依頼されたが、その時に一時間くらいレクチャーで「これ(SOMATICS)をどうやってアスレッチックトレーニングで活かせるかをやって下さい。」とも言われた。またも???であった。そんなこと何で俺が提示せなあかんねん。そんなことは自分で考え、自分で活かしていくのが当たり前やろ?その程度の意識で何を身につけることが出来るねん。ちょっとは自分で何かを考え、自分で行動を起こすということを日常でしているのだろうか?明らかに、私はそんな事をレクチャーするつもりはない。今書いたようなことを終始言うつもりしかない。

躰の世界で非日常的な事はない。躰技が日常の立居振舞に昇化していないとある意味、何ににも応用できない。非日常、例えば競技など、でしか活かせないものというのは、レベルが低い。非日常を無くす。非日常的思考や選択肢を上手に排除することが、逃げ道を持たないことには繋らないだろうか?ファンタジーは嫌いである、私は現実の中でしか生きていない。

私のアメリカ生活によると、向こうの多くの指導者的立場の人は口先だけで、指導することを体現して生きていない。日本のスポーツ・フィットネス界も見渡す限りそう変わりはないと思っている。しかし、日本の伝統身体文化の世界では、そんなことは有り得ない。それは住む世界が違うからだ。秤にかけられる物指しでしか判断していかない西洋と強烈な現実主義の日本文化では、年齢に対する解答がまるで逆だから、目の付け所や育み方が全く異なるのだ。
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by somaticcoach | 2007-03-30 13:56

そして、空洞化

感覚の変化が起こった。躰の存在感というか充実感といったバリバリの感覚を持つことができるようになっていた。中心軸というものがちょっとは体感できるようになっていた。太いが頼りない軸感覚から、細くて芯の入った軸感覚、そして、軸が螺旋を描き二匹の蛇が絡み合っているような軸感覚。そこから、躰の中身がポッカリ無くなるという感じになった。

皮膚が袋になって、中身が空洞になった。筋肉とか、骨とか、関節とかが溶けて、何の区別もなくなってしまった。こんな面白い感覚は初めてだ。一瞬通り過ぎていった感覚ではなくて、今もずっとここにある。野口体操創始者の野口三千三さんがおっしゃっていた『からだ=躰=空だ』の言わんとした事はこういう事だったのかも知れない。過去の偉人の辿った道に少しは近づけたのかも知れない。
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by somaticcoach | 2007-03-29 21:18

「つもり」病

「~のつもり」は何も意味をなさない。でも、「~のつもり」であれば、許されるという勘違いが間借り通っている様で、「~しているつもりなんです」と堂々と言う。こっちとしては、「だから何?」なのであるが、「“つもり”ならばオッケーなんだぞ」と言いたげである。その“つもり”が二進も三進も行かず、何事も成そうとしていないにも関わらず、闇雲に“つもり”ばかり続けている。その姿はただの馬鹿にしか見えようがない。

「つもり」はフリをして、自分を隠していることにはならないか?誤魔化しの仮面を繕っていることにはならないか?一生懸命な良い子に振る舞って、そう見えると思って人を騙してはいないか?

「つもり」病も蔓延している気がしている。
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by somaticcoach | 2007-03-28 14:19

具現化こそ、人となり

言葉のやり取だけだと収拾がつかない。同じ言葉を同じ意味で使っていることは、まずないと言って良い。

言葉をどう具現化しているのか、つまり、行動が全てを語る。行動を観てみなければ、その人の言わんとしている事が分からない。実は言葉だけでは、何も語ってはいない。
言葉を乗せる時、出来るだけ躰で定義して乗せて運ぶようにしたい。私はこれをこういう意味として、使っていますと体現する。具現化できない言葉は出来るだけ使わない。そうでなければ、突っ込まれた時、自分がまったく中身のない人だということを露呈することになる。分かったつもりになる人が多いから、突っ込んでくる人もそうそう居ないものではあるが・・・。

行動が伴わない人の言葉には、憤りを感じることが多い。言葉の中身がなない、アクションが伴わない人に限って、生意気言ったり、どこかから借りてきたような言葉を吐く。行動が伴わない人ほど、欲求が強く、自分の感情をぶつけて来るだけで、建設的な会話にはならない。お前に言われる筋合いは、どう冷静に考えても、有り得ないのに生意気言う。言葉だけが浮遊して、夢遊病が蔓延しているからだろうか。
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by somaticcoach | 2007-03-27 17:21

頭塾

最近は講座やレッスンで頭塾として、頭の切換についてや頭の働きについてプリントを配布して読んでもらうことも始めた。思考の癖や意識の癒着をなんとかしないと躰レベルでの変化が乏しいと常々思っていたからだ。つまり、いかに頭の中の他人が躰の働きを邪魔しているかということだ。

『頭の中の消しゴム』が無闇に働いてしまうことは不幸かも知れないが、『頭の中に消しゴムを持っている』こと、そして、自由に使いこなせることは、悪いことではない。雑音・雑念を消せることが、頭をクレアーにして、頭が冴えるようになる。頭を緊張させないことが、頭脳を活かすことになるのだから。
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by somaticcoach | 2007-03-21 15:19

有り得ない

ある懇親会で、あるインストラクター達の声が聞こえた『(収録したビデオ)で自分の姿は怖くて観れない。観たくない。』

アホか?そんなもの世間に晒すなよ。その姿で人前に出て、金取るなよ。有り得ないやないか。人前に立つ以前の話やないか。存在価値ないやないか。

笑ってそんな話をしていた。笑い事やないで。自分の姿を客観的に顧みれない人が、人に何を伝えようとしているねん。自分で観れない自分を人に見せているという自覚が全くないということはどういうことやねん。客や生徒だけじゃない。全ての関わりのある人に対して失礼なことを平気でしている。

直接そう告げると、「そういう考えかたもあるね。」だって。呆れた。それ以上どうにもならない。手遅れの病気や。そんな人とは、仕事できない。サヨウナラ。
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by somaticcoach | 2007-03-20 11:43

関係

言葉を発する時、何を意識している?
今を感じている?
自分の居る場を躰で認識している?

以前SCPTPをしている時に、発声の躰遣いをした。歌手などがする音階や声量を目的とした発声方法ではなく、相手に届けるコミュニケーションとしての発声を練習したことがある。
今、殆どコミュニケーションが存在していない。声や言葉はバラバラに空間に散り、行き違いの音が浮遊している。街の空気はハーモニーの欠いて、ザワザワ騒がしい。
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by somaticcoach | 2007-03-20 11:22

不満躰よ、さらば

朝から便のキレが悪く、スッキリしない。躰の主張は、『不満や文句が溜まっているよ』ということだったみたい。
ガスが溜まっている感じで、お腹がモヤモヤしていた。思わず右足を振ってみる。足首が硬い。振りにくいながらも一番振り易い所を見つけて、右足を振ること10回程度。足首のキレとともに、気分が激変。お腹と気持ちにスッキリ感が広がってきた。
不満が溜まると右足首が太くなって、動きが硬くなるという。
不満・文句分子には心当たりがある。気づきがあった。これで、躰がスッキリして行くだろう。気づくと躰は変わる。
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by somaticcoach | 2007-03-20 10:56

帯が欲しくなる躰

「帯を締めると、躰が引き締まる。」という事は体感済みで、躰で知っていた。でも、未だかつて、帯を締めたくなる躰には、出会ったことはなかった。

今週の名(or迷)発見のお陰で、躰の充実感が全く今までと異なっている。今日歩いている時に、着物を着たい、帯を締めたいとの裡なる要求が沸き起こってきた。今年定めた目標、『三年以内に完全着物生活へ移行』という経済性を重視した目標が、躰の強烈な要求によって急速に早まるかも知れない。
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by somaticcoach | 2007-03-18 15:14