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伊豆

今日から3日間伊豆にいます。

熱海に降りたった瞬間、ここは空気が優しいなぁと思いました。高湿度の圧迫感がなく、気持ちいいです。
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by somaticcoach | 2006-07-28 12:53

今日のワークから

今まで何回K-Fitでレッスンをやったであろうか。二度と同じレッスンはない。それだけ、いつも色んなことを考えていなきゃいけないし、ちょとした日常の出来事からヒントを得ることをしている。今日も目の前でおばあちゃんが足を踏み外してコテンッと転ばれた。実に見事なこけ方だった。立ち上がるのに手をかしたものの、見事なこけ方だったためにどこかを強く打ち付けることはなかった。もちろん怪我もされなかった。

同じことはしないものの顔や頭を意識して細かく感じ取るレッスンをすることが多い。今日もついさっき顔を少し刺激・感知するワークをしたのだが、ちょっとした事で顔が変わる。表情が変わる。五感が変わる。身体のバランスや安心感が変わる。ある人は、「催眠術クラスだ」といってクラスを後にされた。身体の働きや頭の働きを変えることは、ある意味催眠術かもしれない。思い込み様によって、身体の働きは激変する。最近言わなくなったが、以前よく言ってた言葉に「これはある種の洗脳かも知れません」というのがある。

しかし、何を植えつけていくかは、こっちが決めるわけではなく、自分で氣がつき、掴み取ったものや無駄をそぎ落とし浮かび上がったものを植えつけていくから、少なくとも他人が押し付け人を惑わす間違った洗脳にはならないと思う。自分で自分を苦しめる洗脳をしてしまう人はいるかもしれないけれど・・・。

昼間のクラスには人がよく集まるようになっている。自分で探し当てたものを洗脳していくことに勤しむ方々が。
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by somaticcoach | 2006-07-27 15:56

新しい氣づき

ちょっと前に私の身体の右半身がいつも張り付いたようで鎧を身に着けているような状態が何年も続いていると書いたことがある。

常々、右半身が前に飛び出していて身体が左に捻じれようとしていると思っていた。それは間違いないのだが、全体像を掴んでいないことがわかった。数日前に右半身が分厚いことに気がついた。右肩や右胸や右腹が前に飛び出しているだけではなく、左よりも後ろにも膨れ上がっている。分厚いという感覚よりも、右半身全体が腫上がっていて、水でパンパンの風船のような感じがすることに気がついた。そう、捻じれているというよりも、腫れている。何かが鬱積していてエネルギーがぜんぜん流れていないのだ。

右側だから、肺も膨れ上がっている、肝臓辺りも非常に腫れぼったい。特に、注意を向けたのは肺であった。右が動かないから、何年も必死に息を右側に入れようとしてきた。でも、もし右肺が膨れ上がっているなら、息はそれ以上中々入って行こうとしないのは当然であるかもしれない。息が入っていないのはむしろ左肺の方で、右肺から空気が抜けない状態になっているのかもしれないとの仮説が立った。

ではどうやって左肺に息を入れて、右肺から息を抜いていくか。色々やってみて、やり方がわかった。それは昨晩10~15分程度したであろうか。今朝、古い血の塊が、鼻をかんだ時に出てきた。喉と気管支の辺りが、長距離走を走った後みたいな感じがしている。たぶん、呼吸器系の筋肉痛みたいなもんだと思っている。今まで使ってこなかった、息の道が開き始めたようである。この息のワークをやった後は、右側が少し縮んだのが感じられた。

これで息の回路のバランスが取れると、身体のバランスがかなり変わるような期待をしている。右半身の肩や腰や股関節の動きも滑らかになり、右腕・脚の張り感も腫れ感もだいぶ和らいでいる。これに関しても、実験台Wanted!
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by somaticcoach | 2006-07-26 17:29

Something New

昨夜、久しぶりに痛みに見舞われた。

一日中パソコン相手に考えていて、気が狂いそうになってたから、恐らくそれが身体を壊していたんだろう。

頭痛でしんどくなってたので、横になっていた。身体と対話していると手を動かし始めた。あっちの皮膚をある方向に引っ張り、こっちのをまた別の方へ。次第にある仮説が生まれ、それをテストしながら簡単な刺激を与えて行った。数分で95%の頭痛は去り、快い眠りにつけた。その上、身体がどんな風に苦しんでいたのかより鮮明に分かった。誰かにも試したくてしょうがない。

実験台WANTED 。
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by somaticcoach | 2006-07-25 15:01

検査会

昨日SCPTPの検査会を行った。

全員がずいぶん進歩していたのが嬉しかった。まだまだ本人自身の身体に本質的なTransformationが起こるまでにはいたっていなかったけれど、何かが始まっているのは全員に感じ取れた。「きっかけ」には、なったのかなぁ。

中核の概念について直接時間を割くことができず、テキストでそのところを読み、自覚して感じてもらうことにとどまっているに違いないと思っていた。“自覚して”だから、こんなええ加減なものもないかもなぁと。いま、頭の働きがおかしくなっているから、身体だけをいじくっても、ただの体操で終わってしまう。頭と身体を同調させることが伝わっていない。「忘れる」「捨てる」「空っぽにする」という頭の教育に手が回らなかった。そのことが自分のなかで葛藤を生んでいた。「これじゃ、絶対に本意が伝わっていない」と。何のためにやっているのか。結局、どこぞの何チャラテクニック・何チャラ体操を教えますと変わらんのやないか。

正直、前回までの彼らを見ていてその程度の印象しか持てなかった。始めた人たちには面倒見続けるとして、こんなんやったら今回限りかなとも思っていた。やりかたは変えようがあるにしても。動機的にフィットネス的な関連から切り離してやらないと難しいと考えていた。しかし、前回から今回にかけて大分本人たちの様子が変わっていた。

帰りの電車で、みんなに書いてもらった作文を読んでいた。自分が思った以上に、彼らが深く感じ取ってくれているのがわかって嬉しかった。身体と向き合う愉しさや、快い苦しさなどを感じ始めているようだった。ただの「体操」と受け取るのではなく、全人的な行で生活そのものと人間活動全体をくすぶるきっかけとなっていることが伝わってきた。自分たちの身体が表している意味と向かい合い始めている。この先、彼らは一味ふた味違った人になっていくだろう。これは、やさしいことじゃない。そこからは、いくらようにも逃げられる。一生、無視することもできる。でも、やらないと決して深みのある人間にはなっていかないだろうし、生きる面白さってのも実感できずに終わるだろう。

つい最近のブログで「みんな死ぬんだよ」って一言で終わったのがある。面白いのは、あのブログ投稿以来訪問者が顕著に減ったことだった。あのブログがきっかけになったのか、他に理由があるのかはわからないけれど、もし、あの記事のあの一言が人を遠ざけたならば、その人たちは今、どこで生きているのだろうか。「地球上にいて、ここにあらず。現代にいて、今にあらず。」ではなかろうか。それで、なにが面白いのだろうか。

じっくり、やらなければならない。これは、私自身も受講者全員からも一致した意見で纏まっている。スケジュールなり、内容変更なり変えていかなければならないことがたくさんあるけれども、自分の中で一度離れかけた気持ちが戻ってくるようだった。欽ちゃんじゃないけど、「またやるよ~」という想いが沸いてきていた。
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by somaticcoach | 2006-07-24 11:59

目標を忘れる

Fitness Clubを来る人はある程度何かしらの目標を持っている。「やせたい」とか「筋力をつけたい」とか「腰痛を克服したい」とか「やわらかくなりたい」とか。いまだに「快くなりたい」という大目標で、そういう場所を訪れる人がいないということはどういうことだろうか?しかし、私のクラスに来る人の動機の方向性は大分変わってきている。快くなりたくて来る人が多くなった。昨日「いつも来てよかったと思う。」という言葉を残して帰られた方がいらっしゃった。快という原始感覚、生命のよりどころがいかに大きなものであるかわかってきたのかなぁ。

目標を持つこと、それはそれで素晴らしいんだけど、願望というものは忘れることで叶っていくらしい。目標を立てて念じたら、忘れる。忘れるといっても顕在意識から外すことであって、一切の関わりを絶つことではない。潜在意識へ放り込むことをいう。人は忘れたと思っても、なにかしら身体の中には残っている。顕在意識に浮かんでこないだけで、必ず潜在意識には残る。頭で立てた目標に囚われて振り回されたり、苦しまされたりしないように。どうりで自分で立てた目標が重たくなって、三日坊主で終わったりするわけである。拘るから色気を出してしまう、そして三日坊主になってしまうのかも知れない。餌を提示してもらわないと動かない人や動けない人が多いが、「~してやろう」という気持ちは、上手く働かないし、上達の歯止めになる。餌を追いかけることに草臥れて、やめてしまうオチを持つ人も少なくない。

忘れて何もしないことを提案しているのかというと、そういうことではない。いったん忘れたら、Just Do It!のモードに入るだけである。現実は「Being(あること)」と「Doing(すること)」だけだから、ただただやれば良い。やっていることに100%の自分を傾けていくこと、それを積み重ねていくことをし続けていく。目標やテーマを掲げては忘れ、自分の今やっていることに、完全にある方向で取り組むことでいい。それをやっていけば、勝手に目標が叶えられていく。

痩せたいから痩せるのでもなく、腰痛が克服したいから腰痛がなくなるのではない。生命が快く存在していくときに、痩せることが必要なら痩せる、腰痛が必要ないなら腰が痛くなくなる。物事は必然によって動かされている。嫌がる身体を無理矢理こじつけるのではないと思っている。そうしてしまうと必ずリバウンドや再発が待っている。
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by somaticcoach | 2006-07-21 10:20

頭を鍛えるということ

任天堂DSなどでデジタルドリルを積む事で“脳”を鍛えることをうたっているものがあるが・・・、あまり感心しない。以前から身体を思いっきりつかったり、技術を工夫したりして全人的に備えられているの物を発揮していくことのほうが、よっぽど脳みそを鍛えることが出来ると感じていたが、実際脳みそを働かせすぎると身体が動かなくなることを体験してきた。特に大脳を使って、あれやこれやと考えていると身体がフリーズしてしまう。もっと力を抜いてとか、もっと個々を使ってとか、ここをこのようにしてとか、考えれば考えるほど思い通りにはいかない。

いかに頭活動をシャットダウンさせて感覚に導かれていくと、自然に効率よく効果的な表現ができたり、美しく表現できたり、力強さややわらかさが出せたりする。本能というものはあるべき様に導かれていく。

ほどほどということが一番いい。Right place, Right time, Right wayがいい。そこの程合いをつかむのが味噌なのではないか。ある意味、頭をパンクさせてしまった人が痴呆症に罹って行くのかも知れない。
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by somaticcoach | 2006-07-20 13:24

肩の丸み

月に一度か二度会う仲間に「だんだん肩がなで肩になってきたね」と自分では気づいてなかった変化を指摘してもらった。「そうなんですか?」と尋ねると「昔はもっと、いかり肩だったよ。」と。

だいぶ肩肘張らず生きていけるようになってきたのかも知れない。身体は正直だから、私の変化を正直に現してくれる。いくら頭で否定しても、身体のメッセージは騙せない。この変化は、頭から力が抜けてきて、もっと感覚を大切にできているという具体的な表現であると読み取れる。

嬉しい観察報告に感謝!
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by somaticcoach | 2006-07-20 13:11

我が事

ずっと自分の身体の不協和解明に取り組んでいる。右半身が張り付いたようにギュッと固まっていたのを長年感じている。ようやくそこに全く息が入っていかないことがようやく感じられるようになった。呼吸していても動きが感じられない。まるで死んだ身体のようにジッとしてるのだ。以前から硬さを感じていたものの、その硬さ具合がより具体的な感覚として捉えられるようになってきている。

トラウマ学を復習しながら、人がどのようにトラウマに罹っていくかということと、自分の身体の強張りに思い当たる節が浮かんで来ている。それとともに、感情のFreeze zoneである肋骨部、特に右肋骨部に働きかけると少しずつ、右半身の固まりが剥がれ出してきているのを感じ取れた。このワークにEmotional releaseが伴ってくると私自身が全身統一された存在に近づけると思う。

我が事ながら、いや我が事であるから、苦しくとも面白い。・・・・・Somatic Mobilization。
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by somaticcoach | 2006-07-19 21:46

股関節の開放

股関節を柔らにするのに、間接的に股関節に働きかけるワークを行った。
ただ四つのMovement Patternsをひたすら順番に繰り返したり、動作の中に数々のDifferentiation(分化)を入れて色んな感覚運動回路を活性化させていった。

顕著に股関節に柔らが生まれいた。

股関節の固まりが必ずしも股関節そのものの責任ではないことを体感してもらった。もっとも変わったのは背骨に弾力が生まれたことだった。立ち上がった皆さんは、スラッと天地に伸びていらっしゃった。

身体のほとんどは背骨を介して脳とコミュニケーションを取っているという。背骨が壊れ、脊髄の働きが不能になると不随や麻痺になる。脊椎動物にとって背骨の弾力がいかに末梢部の働きを決定づけるかということであるようだ。

背骨の動きで股関節を動かしてみるとよい。すると股関節そのものも元気になって行く!
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by somaticcoach | 2006-07-19 21:32