テレビの私

毎日放送のComfortable TimeでK-Fitの紹介が今日で最終日であった。取りがなぜか私であった。取りではなく、多分後回しにされただけだと思う。
自分自身初めてテレビ撮影を経験したり、他の者のカットを観察したり、その放映を見ていると、プロの俳優やタレントが出ているCMのこともわかってきた。プロでも自分の言葉で台詞を発している者と言葉の字面をただ述べている棒読みの者の違いがはっきりわかる。
自分のことは棚に上げて、Comfortable Timeの自分の姿をボ~ッと見ていた。反響は如何なものだろう?
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by somaticcoach | 2006-05-28 22:15

韓国人・日本人

東京、新大久保駅のホームから線路に落ちた女性を助けた韓国人の方のことをニュースで知った。以前に同じ駅ホームの同じシチュエーションで命を落とした韓国人の方とオーバーラップさせて、今回の方とのドラマ性を掻き立てて喜んでいるマスコミは置いといて、今回の周りの日本人の伝えられているところの反応・対応と併せて韓国人・日本人の違いを思い描いてみた。同じ状況を前に日本人の重い腰は動かなかったらしい。

ある劇団のトレーナーをしていた方からは、韓国人は発声で咽喉を潰すことはないが、日本人は咽喉を潰してしまうと聞いたことがある。

日本のご婦人方を含む女性人は、韓国人俳優に熱を上げている。日本の若い女の子達にはジャニーズの日本人の方がお好きな印象がある。芸能界に疎い私が客観的に判断できているかは疑わしいが・・・。

一見似たような姿形をしておきながら、何が違うのだろうか。行動力・瞬発力・パワー・魅力の差は何なのか。

声を出すことにおいては、咽喉から声を出すと、咽喉を潰す。腹から声を出せると、咽喉を潰さない。腹横筋を360度フルに活かして、腹から息を絞りだしてくると簡単に大きな声が出せるし、全身をスピーカー化して声を響き渡らせることができる。咽喉を潰すことはない。腰ができていないとこれができない。呼吸の急所は腰にある。つまり、腰で呼吸をするのである。発声は呼吸の延長だから、咽喉を潰す日本人俳優は腰抜けなのかもしれない。

人の危機に間髪いれず飛び出せる瞬発力、的確な状況判断力、そして、火事場の馬鹿力の発揮(救出した方は、持ち上げる時女性がなんでもなかったように軽かったとインタビューに答えていた)は腰が抜けていては不可能である。腰に力を集約させて、頭には必要最小限かつ的確な状況判断を行わせるには、上虚下実の身体を持ってしか成し遂げられない。腰が虚となって、雑念で頭が実になっている日本人にその行動力を求めるのは無理なのかもしれない。大勢がそうであっても、当事者の彼以外に大都会の東京に他に腰の入った者がいないことは残念でならないとともに、今の日本の状態を如実に物語っている。

街中で人とすれ違うとき、その人となりが非常によく見える。その人がどれほど周りが見えているか、自分のことしか見えていないか、自分のことさえ見えていないか。街中は障害物で溢れている。あちらこちらに止められた自転車に、歩道がふさがれていることが少なくない。自分勝手に突き進んでは迷惑きわまりない。相手との間合い、相手の意図、周りとの関係からの状況判断が要求される。歩道の真ん中に立ち止まったり、後ろから人が歩いてくるにもかかわらず前を横切ってきたり、のろのろ進んだり、反対側から歩いてくる人がいても、歩道目一杯に広がって道を譲ってはもらえなかったり。じっくり顔を覗いてみると、相手を見てみぬ振り、知らん顔をよくする。知らん顔をしているだけだから、相手のことは分かっているのに無視していることがバレバレである。自分の世界に閉じこもり、Going my wayであったりする。中にはあんた何よという顔をする者もいる。人のことを無視することに必死なのである。外見や人のことばっかり気にしているわりに、周りの人間に気を払うことに全く興味はない。駅線路救出ニュースを聞いたとき、「やっぱり、日本人はそんなもんやで」としか思わなかった。みんな見て見ぬ振りするのに必死やったんやろ。「自分は気づいていないよ」って必死で言い聞かせていたんやろ。無視することに努力してたんやろ。要するに無関心が蔓延している。ストレスが一杯で無関心でいることが都合がいい。敏感やったら、いくら身体があっても足りない感じがしてくるもんな。でも、納得できへん。腰抜けで生きとってなにが面白いんや!眼は付いているけど、付録でしかない。目の機能を果たしていない。何も見ていない。勿論、向かい合うことはない。

本格的に梅雨が来るとマスマスこんな無関心の人が増えてくる。梅雨の身体は密閉の身体だからだ。皆さん、ご注意を。
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by somaticcoach | 2006-05-28 22:14

オノマトペ

擬態語・擬音語のこと。私はオノマトペのボキャブラリーを増やしていきたいと思っている。私自身オノマトペ表現が乏しいだけに、オノマトペが異常に好きである。人が絶妙のオノマトペを使うと最高に感動する。日本にはとても豊富なオノマトペ表現がある。オノマトは非常にオープンで、自分独自のオノマトペが幾つでも創れそうである。オノマトペは感覚を伝えるのに非常に便利だし、自分の感覚を表現するのにも非常に便利である。決まった言葉で表現するよりも、個性が表れて面白い。オノマトペで会話が成立する日本語は、非常に高度な言語だとも思っている。感覚というなんとも掴みにくいものをなんとも掴みにくい感のあるオノマトペで表現するところが、「いとおかし」である。オノマトペは「大体こんな感じ」を意味しているようなのだが、オノマトペを使いながら身体を動かしてみると、そのオノマトペと一致した動作しか生まれない。「ギュー」っと動いてと指示すると、身体だ硬化していく「ギュー」っとした動きが生まれる。「フワ~」っと動いてと言うと、「フワ~」っと軽やかに動く。動く本人が「フワ~」っと言いながら動くと、さらに効果覿面である。オノマトペで言うところは「大体こんな感じ」なんだけど、身体運動は「大体こんな感じ」ではなく、具体的に「ギュー」や「フワ~」が表現される。まさに、オノマトペ・パワー「いとおかし」。
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by somaticcoach | 2006-05-28 22:13

過剰文明よ、さようなら

最近はブログを書くことが減ってきました。我がパソコンが逝ってしまってから、すっかりパソコンを使う機会が減りました。ネタ切れということもなく、何か思いつくたびにキーワードを書き取っているので、機会ができればドカッと書こうと思っています。パソコンやネットから距離ができたからと言って、別に何も困ったことはありません。むしろ真っ当な生活を取り戻していっているような氣さえしています。いかに無駄にネット・サーフをしていたかということも発見できました。

その代わりなのでしょうか。ただでさえ多い本への出資が、一段と増えてきています。ほぼ毎日のように本が増えていっています。別に、読まないで置き去りにされていく本がないところを見ると、無駄に買い集めているようではありません。今日も本屋で立ち読みをしていると、ユダヤ人の子育てに関する本に手が止まり。パラパラ読み流してみました。「子供には本を買い与えよ。」侵略(の危機)の歴史の中で生きているユダヤ人にとっては、知能を非常に重視します。アメリカで活躍している企業家、弁護士、医者などにユダヤ人系の人が多いことは有名です。「家が裕福ではなくても子供には本を買い与えよ。褒美は本で与えよ。本のある中で子供を遊ばせよ。」といったことが書かれてありました。単純な私は、本は豊かにしてくれるんやなぁと感心していました。自分に本を買い与えとこ。

私の本好きは、大学時代からです。本を読むと想像の世界が頭に浮かぶようになってきてからです。映画化された物語は、必ず私が本を読んで得た空想を裏切ってくれました。と同時にいかに映画づくりが難しい職業かということがわかってきたように思います。映画監督や俳優達は恐らく私のより何倍も生き生きとした空想やイメージをもっているでしょう。それを具体的に作品化することに私達が想像できないくらいの苦しみがあるのかもしれません。映画というものに敬意を示しながらも、私の興味は映画から離れだし、今ではすっかり映画を観なくなりました。活字の世界から得られる自分だけの空想の世界を楽しむようになりました。同じ本を繰り返し読むと、毎回想い描かれる世界が違うことも魅力のひとつです。新たな発見が読む度にあって、感動しています。これと時期同じにして、音楽への興味も変わってきました。歌詞のある歌よりも、楽器が奏でる曲(クラシックやジャズ系等)に嗜好が変わってきました。歌詞があると言葉が押し付けがましく、自分の感じることが限定されるように感じました。曲は非常にオープンです。幾通りにも感じることが許されている開放感があって、そこに惹かれていきました。

ズルズル生活の中に引き込んでしまっている文明習慣から離れると面白いものです。私の次のターゲットは携帯電話を生活から捨てることかな。わざとではないのですが、最近携帯電話を携えて出かけることをよく忘れてしまいます。これも別に困ったことはありません。いつも「あっ、携帯忘れとるわ。まぁ、ええか。」という程度。「まぁ、ええか。」最近これを言うことも増えてきたな。パソコン壊れたときも、「まぁ、ええか。」言うとったし。去るものは追わず。忘れたものも追わず。流れに身を任してドンブラコっていう風に生きてこ。
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by somaticcoach | 2006-05-28 22:12

虫刺され

蚊も季節に導かれ私たちの生活の場に戻ってきました。私自身もすでに3度、刺されました。去年までと比べると違うことは、刺されて1時間も経たないうちに、虫刺され跡がきれいに消えて、痒みも消えることです。一体身体がどういう生理反応をするようになったのかわからないけれど、以前のように数日間虫刺され跡がのこり、痒みと戦うことがなくなってしまいました。

去年の夏にも蚊をテーマにブログを書いたことがありますが、蚊は馬鹿じゃありません。蚊は人に気づかれないように、氣のめぐりが悪いところを狙うそうです。蚊の世界にも馬鹿で鈍いのがいるのかもしれません。そういった蚊は、着皮(皮膚に下り立った)の気配を感じ取られて一撃されてしまう。古の武士や剣士が命懸けで勝負をしたように、まさに蚊は命懸けです。勝負を挑む相手の虚(弱点)をつくというのは勝つための常套戦闘手段です。だから、蚊が人の氣の廻りの悪いところを狙うそうだと聞くと疑うことなく納得できてしまう。おそらく命懸けで生きていない人間だけが、「そんなことあるわけないだろう」と考えてしまうのでしょう。身体の流通が良い人は蚊に刺されないそうです。虫刺されによって、自分の氣の廻りの悪いところを発見できる面白さがあります。

打撲というのにも共通の原理が働いているようです。野球で死球というのがあります。清原選手は実に死球の多い選手です。元プロ野球選手の解説者達が言うには、清原選手は避け方が下手だといいます。確かにそうなのかも知れませんが、問題は避け方そのものよりも、清原選手の死球の多さの蔭には、身体に虚(弱点や隙)が多いことがあります。投球が清原選手の虚をつくと、身動きが取れなくなってFreezeしてしまうのです。だから、避け切れないのです。避け方というテクニック云々のレベルの話ではなく、身体レベルの問題なのです。死球を受けることによって、そこに強烈な意識が向かい、身体が満たされていくのです。怪我も同様です。清原選手の怪我の多さと死球の多さには相関関係があると思っています。清原選手は肉付けに精を出すよりも、身体隅から隅まで行き渡る気づきを高めることが大切だと思うのです。現象の全体像を理解できてこそ、コンディショニングなのですが、彼自身も彼の周りのトレーナーもできていないのでしょう。一軍に復帰しましたが、今度は戦線離脱しないように祈っています。

最近阪神タイガースの連続フルイニング試合出場をしている選手も怪我の機会が増えてきました。このままだとあるきっかけで一気に身体が崩れ、身体が全く言うことを聞かなくなることになるのではないかと感じています。彼も肉付けに熱心ですが、気づきや意識のトレーニングも怠りないように願っています。巨人にもエースと主力外野手で、怪我をひっきりなしに繰り返す人がいますね。物体を扱うトレーナーしかいないのでしょうか。

よけいな心配ですが、ちょっと脳裏を過ぎりました。そのうち、蚊治療法と名づけて、蚊を放し飼いにした部屋にクライアントに入ってもらって、氣の廻りの状態を検査して、蚊に刺されたところをせっせと氣を通していく。そんな治療法でも始めてみましょうか。死球で痛い思いや大怪我を経験するよりも、安く済むのではないでしょうか。Therapeutic Mosquito, Banzai(万歳)!
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by somaticcoach | 2006-05-28 22:11

「斬新やなぁ~」桂小枝氏がよく使うフレーズである。
斬新なスタジオクラスってあるかなぁ。
昨日テレビで「スパー太極拳」とか言うエアロ畑出身の兄ちゃんが、太極拳もどきの動きでエアロビックスをしているのを垣間見た。「斬新やなぁ~」とは思わなかった。「エアロ界も斬新を狙えど行き詰まってるなぁ~。空振りや、これ。」と思った。少なくとも、私の興味はそそられなかった。

今日も地道に伝えて行きたい事を60分の中にパックにした。身体と向き合って、身体に委ねて、頭を虚にして、身体の細部を認識して、自分の輪郭を明確にしていこう、快さを育んで、~というイメージを持って、今度は~という明確な意識を持って、~へ意識を持っていって・・・・・。言葉と看を使って。実感が伴わない方にとっては、訳の分からない言葉の連続である。実感が出来にくい人に対しても、サブリミナル効果を狙って、念仏のように繰り返していくより仕方ない。そんな言葉に愛想を尽かして、レッスンに来なくなった人もいるかも知れない。

言葉の世界がチープになればなるほど、それぞれの表現の違いが不明確になっていくし、安っぽい言葉を欲しくなってしまう。それは、身体が乱れていて、言葉を実感できないことにあるのだろう。身体がはっきりとすればするほど、言葉の違いも明らかになってくるし、ボキャブラリーのレベルも向上してくるのではないか。昔の寺子屋教育みたいに、意味が分からなくても高等な文学に繰り返し肌に触れていき、知らず知らずの間に自分のレベルを高めていったように。切のない身体の探求では、身体の感受性が変わるに従って、言葉への感受性も成長していく。身体と言葉、心と身体を分離させた二の舞にしてはならない。Somaticsのクラスは身体の寺子屋教育にして行きたい。
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by somaticcoach | 2006-05-25 15:50

尾骨骨折

d0067505_11473850.jpgBuddyの一人が尾骨を“パックリ”と骨折したと聞いたので、そのことに関して・・・応援メッセージを。(パックリというのは写真のような感じなのだろうか?)

尾骨に温湿布又は焼き塩を半紙で包んだもので暖めると良い。
又は、良い「氣」を通してもらうと回復経過が早くなる。

特に大腿骨骨折の場合、後に失明する恐れ(可能性)があると言われている。目に氣を通して貰うと骨折の治りが早くなると言われている。

尾骨と頭の関係は深い。麻原彰晃は尾骨を打ちつけることでエネルギーを昇華させて空中浮揚を行ったと言われている。尾骨を打ったとき、頭を打ったときのような衝撃が頭自体にも走ることがある。尾骨を強打したとき、脳内出血を起こす場合もあるという。尾骨から頭にショックが及ぶ。頭の異常感がある場合はそこに氣を通すことも後遺症を防ぐためには欠かせない。

尾骨の骨折自体はさて置き、その影響が及んでいるところをチェックしてもらって調えて置かないと、尾骨骨折治癒の経過が悪いだけでなく、様々な悪影響や異常が後を絶たなくなる可能性が高くなる。神経の保護反射の高ぶりなど・・・。

ただ安静にするだけでなく、地味ながらも回復を促進する方法は伝えられている。

早く元気に復帰してくれることを祈っています。
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by somaticcoach | 2006-05-25 11:40

夜のクラスは私自身のテンションが低下しているのか、もう一つ盛り上がりが感じられない。
参加者の皆さんも、一日の疲れでぐったりと来ているのかも知れないし。

私は夜は弱い。一人でおとなしく資料の整理や調べごとをするには“仕事的”に時間を割くことが出来る。なかなかテンションが上がりにくい分、夜には雲が立ち込めてくるようだ。・・・・といってこれは客観的なおのではなく、昼のクラスとの比較からみた見解なのだが、そうように感じてしまっている。

ということで、気持ちよく身体解放してあげて、本来の自分に戻っていこう。そして、梅雨がきても元気ある身体でいましょうプロジェクトの続きで、呼吸器を刺激する快適動作を行った。自分用のスペースが取れない状態だったので、補助に回るばっかりで、自分の手伝いはレッスン内にはできませんでした。残念。

私自身が腰に集力していないと駄目ですね。次回からは、しっかりとテンションを調整しておきます。参加者の皆様、今日は大目に見てください。
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by somaticcoach | 2006-05-24 20:33

身体の理屈

身体には言い分がある。しかし、学校で習う解剖学や生理学によって聴き取る事の出来るようなものではないような気がしている。
私がアメリカで習ってきたものは、ほとんどが迷宮入りというか蔵の中に入ったままで、出てくる機会のなくなっている。そのような知識では、診断名や障害名を当てはめることによって自己満足や自己完結の世界に陥りやすい。そのため、目の前にいる人(クライアント)の真(身体)の言い分を聴き取ることができなくなっていたのである。
今でも種類の異なる知識を頼りにしているが、もっと大事なのはいかに感応できるか。感応して相手をわかれば「あーだ、こーだ」という理屈は一切不要になり、まともに人との関係を築いていけるようになり始めたように感じている。
知識による理屈付けをしていくのではなく、身体側の理屈を感じ取る作業を積み重ねていかなければならない。
プラクティスする中で、日々そういう想いを強めていっている。
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by somaticcoach | 2006-05-24 20:23

稽古日誌05/23/06

四股立ち方
剣の素振りの時の立ち方
突きの基本:肘/前腕の方向
四股から腹突き・顎突き・金的の型
一緒に動く
相手の握りを感じて一緒に動く
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by somaticcoach | 2006-05-24 00:15