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人に同調できると自分が高まっていく例を身を持ってわかるのが、歩く・走る時。意識的に利用したり、無意識に行う。
一人で歩くことはことのほかしんどく足取りも進まないことがあるが、誰かと一緒だと自然と足が進む。また、あかの他人でも周りにいる人なら誰でも構わない。自転車に乗っている人を上手く使うと、そのエネルギーに引っ張られて足が非常に軽くなる。年寄りのゆっくりした重い歩みに同調すると、歩くのがしんどくてたまらなくなる。このように相手を間違うとマイナスに働くので要注意。
陸上の競技でも、ライバル選手に上手く同調すると、引っ張られるように進めたり、背中を押されるように進むことが出来る。
マラソンで人の後にピッタリくっつく選手がいる。空気抵抗というものを軽減する利点もあるかもしれないが、その人に同調できること(息を合わすこと)で自分の力で走っているのではなく、ただ引っ張られて走るリズムが生まれる。特に、腹側の感覚が鋭い日本人タイプの選手は、この手が多い。
アフリカの選手や西洋の選手の中にはグループの先頭に立って走るのを好む人が多い。とはいえ、スパートをかけ続けて周りの選手を引き離そうと走っているわけでもない。先頭にいるがグループの中で勝負を伺っているのだ。先頭を走るのが好きなのだ。背中の意識が発達した選手は、背中を通した方が同調しやすいのだろう。相手の気配を背中に感じて、背中を押されるように走るのが得意なのだと思う。
そんなことを知らない間に私達は使っている。でも、これを技と化したとき、自分の戦術力が高まり、勝負事に有効に利用していくことが出来る。瞬時にそれぞれの選手の気配を感じ取り、誰をマークすればいいのか、移り行く時間とレース展開の中で分析していく。今、誰と同調して、勝負をかけるタイミングを見計らうべきなのか。自分の力を高めてくれる、引き伸ばしてくれる相手は誰なのか。そんな相手を、ライバルを見つけて息を合わせていくことは、走ることに限らず様々な分野の潜在能力の開花に繋がるメソッドの一つとして提案できます。
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by somaticcoach | 2005-08-31 11:24

相手に同調する

相手を感じるということは、自分の始まりである。世界はもうすでに始まっているため、「自分が~」の押し付けはどんな世界や業界でも全く通用しない。それを教えてくれているのが、日本の伝統的な作法であり、文化であり、職人技であり、武道である。だから、日本は他の国にない『和』*という文化を築き、そこから様々な展開を繰り広げるという特徴を身に付けた。

*(最近よく「和」を口にしているスポーツチーム(全日本女子バレーなど)が出てきているが、本当に「和」の意味が摑めている様にはみえない。仲良しチームやただ何でも言い合えるようなチームを目指しているようにしか見えなかった。本当にお互いを解りあって、高めあっている様に見えなかった。また、最近アメリカでも雇用募集をする時、頻繁に「チーム プレーヤー」であることを条件にあげる。でも、中に入って見ると、仲良しグレープを目指していて、プロの集団としてのチームを目指していないことが多い。・・・・)

このような文化を、自ら捨ててしまったのは日本人であった。世界の他に類を見ない文化を日本人自ら捨ててしまったために、世界に対立が蔓延してしまったとも言えるかもしれない。世界の進むべき道を示しえたのは、日本だけだったのかも知れない。実は、日本人はその様な世界的に非常に大事な役割を担っていたにも関わらず、独自の文化を捨てるという大きな過ちを犯してしまった。日本を改革をする事は、欧米に習うことでもなく、郵政民営化でもない。日本人に戻ることだと思う。古き良き日本人と『和』し、そこから展開することではないでしょうか。国の文化が変わらなくして、政治が変わるとは思えない。

今は中国も西洋文化に習えと、急速に崩れて行っています。自国の文化を捨て、西洋化に加速しています。それを救えるのは日本だけだという学者もいます。なぜなら、日本は同じ過ちを過去に犯してしまったからです。今、中国が非難している日本ですが、その中国が日本のようになろうとしています。しかも、その規模は日本の比ではありません・・・恐ろしいです。

相手と和するとは、相手の生命エネルギーである生気(息)と同調することです。今日は、それを身体を使って学習しました。そうすると、今まで非常に難しかった相手を感じるということが、少しできるようになりました。一歩前進です。
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by somaticcoach | 2005-08-29 00:26

喘息がひどいので何とかして欲しいという人まで、来られるようになりた。今まではアメリカでも日本でも「~に痛みがあるので看て欲しい」とか「~が動かないから看て欲しい」という人ばかりだった(様な気がする)ので、「喘息・・・。あっ、そうなの。痛いところあるの?」と思わず聞くが、「全くない」らしい。今までも、色々な病気がらみの人も看てきましたが、喘息を何とかして欲しいと来られた人はなかったと思う。一瞬「ふ~ん」って一拍間を作って、「じゃあ喘息についてもっと聞かせて下さい」から始まりました。
結局、普段とやることはそんなに変わりませんでした。当時の目標は、その方のカラダにどういう不都合が起こっているのかを探求して、気づいてもらって、納得してもらって、どういう風に変えていこうか二人で見つけていくだけ。その中で、呼吸を楽にしたいっていうとても大切な目標もありました。とりあえず、呼吸深さや呼吸の心地よさがどう変わっていくかというのを手がかりに進めることにしました。いつものような要求の人(痛みがあるから・・・・)だと、痛みの変化やカラダの動き易さ(身のこなし)などを手がかりにするのですが、それが今回は呼吸というだけ(実は呼吸は身のこなしの基礎中の基礎でした)。何にも普段と変わらない。なぜなら、人を看るのであって、症状や病気を看るのではないからです。今日は、自分がちゃんと人を看ることをして来ていたんだと確認できました。
発作がでないように、若干抑え目にゆっくりと進めていきました。大分、呼吸も楽に行えるようになりました。そして、何よりも自分のことをカラダ全体で理解していく一歩を踏み出していただけたのが嬉しかったです。
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by somaticcoach | 2005-08-25 18:53

あら簡単!

昨日試行錯誤しながら編み出した潜在意識を用いた調整法を試してみました。
クライアントは68歳の女性。膝の痛みとそれに伴う歩行困難。たまに右腰痛。胸椎7番辺りから仙腸関節までたっぷり(?)左に捻れている方でした。結論から言うと、勝手に全てがまとまってくれました。今までのように手技を使って働きかける必要も全くなく、やり方をガイドしてやって貰うだけで済みました。まさに、『カラダは全て知っている』を証明してくれた感じでした。
それぞれのカラダには自然治癒力も自律調整力も備わっているということは、カラダはカラダに起こっている事全て把握しているはずなんです。機能が低下しているところ、負担がかかっている(働き過ぎている)ところ、エネルギーが滞りっているところ等、全部。それが、顕在化していないから、頭では分からないだけなんです。無意識の自己調整力に働きかける術を得るだけで、こんなに簡単に整ってしまうし、歩行の足取りもしっかりしました。
この方法にもう少し改良を施して行きたい点がいくつかありますが、新しい光の見えた日でした。
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by somaticcoach | 2005-08-25 18:33

裸足

裸足で山を歩いて来ました。小さい頃は、学校の校庭で裸足で遊ぶことはよくしたし、あの足への刺激が何とも言えず好きでした。今でも、室内では冬でも裸足で過ごすことが多いのですが、足は衰えていました。足裏が痛くて痛くて堪りませんでした。小石あり、岩肌あり、落ち葉あり、枝も転がり、滑りあり、虫の死骸もあったでしょう。蚊が素肌を狙って、かゆみとも戦っていました。そんな中ではありましたが、刺激が気持ちいいどころではありませんでした。歩みがゆっくりとしか進みませんでしたが、おかげで一歩一歩大事に、足裏の感覚や刺激に全集中を傾けながら歩きました。忘れていたあの素足で歩く感触を思い出せて、良かったです。山歩きの終盤には、また裸足で歩きに来ようと思っていました。
足を活かすこと・満たすことが満足。自然の中で足を満たしていく再スタートを切ります。足裏マッサージに行くより、よっぽど価値はあります。

一日中山にこもって、発声と動作の結びつきの研究と再確認、そして、それを様々な動作に結び付けて応用を図りました。どう発声するとカラダがスムーズに走るという動作に最も効率よく繋がるかなど。色々な複合型の発声のアレンジも試みました。細部の動きと、全体へのつながりも追求し、指一つひとつの動きと全身への広がりを手からと足から確認しました。イメージを用いながら潜在意識に働きかけ、動作の滞っているカラダの部分を指摘し、非常に細かい部分に絞り込むことにも成功しました。施術の時やクライアントのカラダの弱点を探るのに有効だと思います。カラダを使って考えると、アイディアが際限なく溢れてくるようでした。面白い山ごもりの一日でした。
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by somaticcoach | 2005-08-24 20:59 | Somatics

駒大苫小牧の不祥事、悲しくなりますね。今回は部長がやっていた。ビンタやスリッパでたたく程度は、昔では当たり前のように行われていた。でも、愛情を持ってしているか、何かの腹いせや見せしめにために行われているかで大きく違う。今回は明らかに部長の行いが、愛の鞭として生徒に伝わっていない。理由は簡単。部長に愛情という気持ちがなかったからだ。相互のコミュニケーションがあれば、少々の体罰でも真剣さと愛情を感じるものです。叩くだけで、教育がなかった。明らかに、部長が一方的な押し付けしかできないことを証明している。生徒を人として扱っていないのです。

「夏バテ防止のために、ご飯を3杯食べる」って、各地から生徒を預かって指導している者が、そのレベルだと分かって、つくづく情けない。だいたいご飯3杯食べたからって、夏バテしないとは限らない。体が受け付けていなのに食べると、食べすぎで肝臓・腎臓に負担がかかって、余計に夏バテする危険性が出てくる。ほんまにアホか。27歳で青二才の部長さん、子どもはあんたの玩具じゃないよ。不可解な殺傷事件を起こす奴と変わらない心の歪みが感じられた。

学校の対応もお粗末。事実を認識しながら、大会終了後に対処しようとした(本気でそう思っていたのかどうか・・・)。明徳義塾のことがあっただけに、余計に出るに出れなくなったのだろうか。出場辞退になることを恐れたのでしょうか。出来れば、蓋をして置きたかったのでしょう。駒大苫小牧の活躍と優勝を快く思っていない人からの親告でしょね。「うちの息子を殴り、傷つけてまで勝ち取った優勝旗に何の意味があるの」っていう。学んで欲しい、そして周りを見渡して欲しい。自分達が傷つけてしまっている者が、そこに居ないかを。人を育てるということを教育者は追求していって欲しい。

d0067505_931837.jpg元UCLA Basketball のコーチであり、選手としてコーチとして殿堂入りを果たしているCoach John Woodenに学んで欲しい。コーチという在り方を。27年のコーチ生活のうち、最後の12年中10回NCAAチャンピオンを果たす強いチームを築きながらも、彼は一度たりとも「勝つこと」を口にしなかった。準備を怠ることなく、自分を高めることに集中させた。彼は優秀なバスケの選手を育てただけでなかった。彼の元を去った者は、一流の社会人に育っていった。彼は、スター選手よりも控え選手との繋がりを何よりも大切にした。選手をコーチしたのではなく、人をコーチした。コーチングの基礎は彼の在り方にあると思う。

僕の理想のコーチ像です。
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by somaticcoach | 2005-08-23 09:05

高橋尚子選手(マラソン)

高橋選手が11月のマラソン出場を表明した。久しぶりの表舞台で走りを見ることができる。一体どういう走りをするのか、待ち遠しい。勿論、それまでに良い状態に持っていけるという見通しなのであろう。小出監督のもとから独り立ちし、高橋選手をサポートしてくれるチーム一体での再スタートとなるレース。非常に楽しみにしています。
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by somaticcoach | 2005-08-22 19:58

高校野球

高校野球も終わりました。球児(過去の球児も、現在の球児も)にとっては、秋の始まりです。兵庫県では秋の県大会に向けての地区予選も始まりました。

今年の高校野球を見ていて、勝負がエラーで決まるケースが多かったという印象を受けています。特に、悪送球が勝負を決める得点に繋がったケースが多かった。これが何を意味するのかさっぱり分かりません。これが、近年の傾向なのか、ただそういう大会だったとだけ言えるだけなのか。まあ、高校生の野球ですから、思い切ってプレーしてミスをしてくれれば何の文句もありません。そこから、一歩一歩上手くなっていけばいいのです。

しかし、トーナメント方式で試合が行われると、そのミスを取り返すチャンスが永久に巡ってこないということもあります。今という時はこの瞬間にしか在らずということをカラダで学ぶいい機会ではあるのですが、そこ(直ぐにミスから学び、成長することができないところ)が、トーナメントというあくまでも勝利追求型形式の欠点なのです。ゲーム経験を増やしたり、選手の力を最大限に伸ばしたり、野球の深みというかゲームそのものの楽しさを追求するとが達成しにくいゲーム方式であるといえます。勝つことに拘るあまり、策を重視し個の成長が軽視されてしまう。勝利に拘るあまり、選手がミスを犯すことを恐れずに思い切ってプレーをしたり、大胆なプレーや作戦を試したり、ゲームをすることそのものよりも勝つことでしか喜びを感じなくなってしまうこともあるのではないか。高野連の興行にはもってこいなのですが、これが本当に高校球児の才能を伸ばすことに繋がっているのかは疑問です。もしかすると高野連に利用されているだけなのかも知れません。

高校生という段階を考えると、これでいいのであろうか?という疑問はずっと付きまといます。甲子園という舞台やそれまでの地区予選は、‘完全燃焼’を成す絶好の舞台を演出します。もし、エース級のピッチャーが一人しかいないところでは、エースは疲労困憊の中、連投を強いられていきます。力尽きて燃焼できます。しかし、高校生がそんな形で燃焼してしまっていいものでしょうか?今年も何人もの投手が地区予選から一人で投げぬいていました。疲れの色を隠せない選手が何人もいました。また、「通算~球一人で投げ抜いています」的なことを売りにテレビ人間は感動を煽ろうとしていました。そんなことを感動の材料にしてしまうのは、どう考えてもおかしいやろう。「感動」を勝手に押し付けていいものなのでしょうか?

結局は、駒大苫小牧のように複数の主戦級の投手を持ち合わせていないと勝ち進むのは厳しいですね。松坂投手級のピッチャーでないと一人では、中々難しいです。大阪桐蔭も一年生の中田選手をピッチャーとして上手く併用していたら、辻内選手も決勝の舞台に進めていたかもしれません。

個人的には「高校野球はいいなぁ」と思いながら、いつも「これは、いかんやろ」「なんとかならんのか」という相反する一種の悲しさや怒りも高校野球観戦にはつきものになっています。
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by somaticcoach | 2005-08-22 00:46

満月の夜



昨晩の月は綺麗でした。明るかったです。月の明かりだけで読書ができそうでした。

「見上げていますか、夜の空を?」と皆に問いたくなる夜でした。

ちょっと一服して夜空を鑑賞してみて下さい。
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by somaticcoach | 2005-08-22 00:00

寒暖の差

寒暖の差が出てきました。高校野球も終りに近づくこの時期はいつもそうです。そういう季節の流れと高校野球のフィナーレも重なり、夏の終りを告げカラダも秋への準備に本格的に入っていきます。この時期に、甲子園大会の終りを迎えれるのは、何かの意味があるように思えてならないのです。(今日も接戦ー接戦の準決勝みたいだったようですが、連投、連投のピッチャーがもろに連投の影響を受けて疲労困憊しているにもかかわらず投げ行く姿を見ては、まだまだスケヂュールという問題点を直視せずにはいられません。----これについてはまた別の機会に書きましょう)

風邪をひきやすい時期なのですが、この時期に風邪をひきやすいのは意味があるのです。風邪をしっかりひくことによって、夏のカラダが秋のカラダへONになるのです。ポイントはしっかりひくこと。変に症状を薬などでコントロールしようとすると、せっかくの風邪を活かしきれず、秋になっても冬になっても季節にそぐわないカラダのままで過ごすことになります。「何か調子がおかしい」「しんどい」「疲れが取れない」と思い続けて過ごすことになります。風邪の症状が出てきたころには、実は病気そのものは治って、後始末をしている時なのです。不用品を体外に排泄しようとしているのに、それを抑えつけてしまって内向させてしまっては、カラダが強くなるはずがありません。風邪に対する認識を変えて、しっかり風邪をひいて、風邪にまつわる苦しさも味わうといいでしょう。そうすると、全てが終わった時には爽快感がカラダに戻ってきて、本当にカラダがすっきりします。そんな風邪の経過を辿って下さい。

悲しいかな、本人がそうしたくても、会社などの社会が許してくれないこともあります。でも、自分のカラダに何が大切かを想って、風邪を経過させて労わってあげてください。風邪の始末を間違うと将来の大病に繋がっていきます。健康保険・癌保険・入院保険に入っているから大丈夫?お金にカラダの面倒を看てもらってどうするの?今できることがちゃんとあるのに・・・、勿体無い。風邪はチャンスです。そのチャンスを逃すと、痛いしっぺ返しが来ますよ。
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by somaticcoach | 2005-08-19 20:38